プロ野球PRESSBACK NUMBER

「2年後にダイエーに戻って来い」「メジャーから接触」も佐々木誠が西武にFA宣言残留した理由とは?「あとから考えたら決断を誤ったかなあ」 

text by

喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

PROFILE

photograph byKazuaki Nishiyama

posted2025/07/05 11:06

「2年後にダイエーに戻って来い」「メジャーから接触」も佐々木誠が西武にFA宣言残留した理由とは?「あとから考えたら決断を誤ったかなあ」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

監督が代わって違和感があるなかでFA権を取得した佐々木誠だったが、複数の選択肢から宣言残留を決断した理由とは……?

 ダイエー時代の92年、打率.322、40盗塁だった。翌93年、福岡ドームがオープンした。「あれはデカすぎましたけどね」と、その広さを克服して、30本の大台に乗せるために「バットの遠心力を使って打とうとしたんです」。

 バットを0.5インチ(約1.3センチ)だけ長くすることを決断した。

トリプルスリーを達成したいあまりに「大失敗」

「そこで、ボタンのかけ違いをしちゃった。30本打ちたいという願望だけでやってしまったから、感覚がズレてしまった。自分のやり方が分かっていれば、その数字しか出ないんです。そこにプラスアルファが加わるだけですから」

ADVERTISEMENT

 自打球が左目を直撃、眼底骨折などで1カ月近く戦線離脱した影響もあって、93年は打率.277、7本塁打、23盗塁。トリプルスリーには程遠い、佐々木らしからぬ成績に終わり「バットを長くしたのが大失敗やったね」。

 自分を知り、己の力を冷静に分析し、把握する。そうすれば、やるべきことはおのずと分かってくる。移籍1年目の94年、西武という強いチームにおける自らの役割を理解できたからこそ、自己ベストの84打点を挙げ、2度目の盗塁王に輝くという、その“らしさ”を存分に出し、西武の5年連続リーグ制覇に貢献できたわけだ。

いろんな球団を見て、旅をしたような

 移籍という転機が、佐々木にたくさんの“気づき”をもたらしたのだ。

「一つの球団で終わるのが一番かも分からないけど、やっぱり、いろんな球団を見て、何て言うのかな、旅する、っていうのかな。もちろん、最終的に戻って来られればいいんだろうけど、色々な球団に行って、色々な勉強をしてくる。人生の中でも、トレードはいろんな意味で、経験すべきものなのかなと思いますね」

 日本での現役生活17年、アメリカで1年。プロ野球、社会人野球、高校野球での長き指導歴も重ねてきた、その豊富な経験から導き出された教訓を今、佐々木は次世代の野球人たちに、丁寧に、じっくりと時間をかけながら、伝えていこうとしている。

〈全3回の3回目/はじめから読む

#1から読む
「1億円新居の完成直後に通告されて」佐々木誠が驚愕したダイエー←→西武“史上最大の3対3トレード”の内幕「球団は“出さない”と言ったのに」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

関連記事

BACK 1 2 3 4 5
#福岡ダイエーホークス
#西武ライオンズ
#佐々木誠
#東尾修
#清原和博
#秋山幸二

プロ野球の前後の記事

ページトップ