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タイトルまで恋愛厳禁→女流四冠→将棋連盟初の女性会長に「私が選ばれたことが挑戦」「19歳から茶道も」清水市代の人生が凛々しい 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2025/06/26 06:00

タイトルまで恋愛厳禁→女流四冠→将棋連盟初の女性会長に「私が選ばれたことが挑戦」「19歳から茶道も」清水市代の人生が凛々しい<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

日本将棋連盟初となる女性会長となった清水市代(2015年撮影)。女流棋士として比類なき実績を残した1人でもある

「将棋は小学1年で覚えましたが、しばらく中断していました。今はお父さんに習っています。(女流プロになるつもりはとの質問に)まだわかりません。中3なので都立高を目標に受験勉強しています」

 そんな清水に「女流プロを目指しませんか」という声がかかった。中原誠名人、蛸島彰子女流名人らの名棋士を育てた高柳敏夫八段(当時63)だった。幼少の頃から「職人技」に憧れていた清水は、女流棋士になりたい思いが募っていった。

「天辺を目指します」タイトルまで恋愛厳禁

 そして1983年夏、清水は意を決して両親に打ち明けた。きっと賛成してくれると思ったが、両親に猛反対された。父親は「人生勉強のつもりで将棋を楽しんでほしい。プロに入ると勝負に振り回され、そういう思いをさせたくない」という考えだった。その後、家族会議が毎日のように開かれた。ある日、清水の決意が固いと見た父親は、「勝負の世界に2番はない。1番を目指すならやってもいい」と述べた。清水はしばし沈黙の後、「天辺(てっぺん)を目指します」と宣言した。

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 翌春、清水は名伯楽として名高い高柳八段に入門した。その条件はタイトルを取るまで、化粧と恋愛は厳禁というものだった。以後は高校に通学しながら、放課後は東京・渋谷「高柳道場」に通い、兄弟子の宮田利男六段や奨励会員に習って腕を磨いた。帰りがけに制服姿で渋谷の繁華街を歩いていると、家出娘に間違えられて警官に呼び止められたこともあったという。帰宅すると学校の勉強の復習と将棋の研究で、寝るのはいつも深夜だった。テレビを見る時間はなかったが、充実した日々を過ごしていた。

初の女流四冠、19歳の頃から茶道も

 1985年4月、清水は女流育成会を経て女流棋士2級と認定された。

 その後は各棋戦で活躍し、1988年には初挑戦した女流名人位戦でタイトルを19歳で獲得した。「父さん、天辺に立ったよ」と心の中でつぶやいた。祝賀パーティーは新宿の高層ホテルで開催された。師匠の高柳八段はとても喜んでくれた。ただ父親は、これで満足してはいけないという思いか、うれしさを表にあまり出さなかったそうだ。

 清水は1980年代後半から90年代にかけて、女流タイトル戦の常連となり、数多くのタイトルを獲得する。その勢いのまま、96年7月には女流棋界初の全冠制覇「四冠」(女流名人・女流王将・女流王位・倉敷藤花)を達成した。

 記者会見では「夢のような気分です。今後は責任感を持っていい将棋を指したい。また、各タイトルでクイーン称号を目指します。それから将棋を女性の方にもっと知ってほしいと願っています」と挨拶した。

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