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タイトルまで恋愛厳禁→女流四冠→将棋連盟初の女性会長に「私が選ばれたことが挑戦」「19歳から茶道も」清水市代の人生が凛々しい
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKeiji Ishikawa
posted2025/06/26 06:00
日本将棋連盟初となる女性会長となった清水市代(2015年撮影)。女流棋士として比類なき実績を残した1人でもある
私は、有力候補が自説を主張している、それとも譲り合っている、投票ならすぐに決まるはず、ローマ教皇を決める「コンクラーベ」では煙の色で知らされる……などと思い巡らせていた。
そして30分後、理事らが戻ってきた。所定の席に清水女流七段が座ったことで、女流棋士として連盟会長に初めて就任したことが明らかになった。
将棋界にとって、私が選ばれたことが挑戦です
清水新会長は記者会見などで、次のように挨拶した。
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「将棋界の長い歴史を振り返ると、先達が築き上げてきた《継承》の重みを感じます。その伝統文化を次の世代につなげていくために、《挑戦》が使命だと決意を新たにしています。その継承と挑戦の両輪を力強く回していくことで、将棋界全体の活性化へ発展させたいと考えています。将棋界にとって、私が選ばれたことが挑戦です。全力を尽くします」
清水は2017年の連盟理事選挙に立候補し、「女流棋士の立場から連盟運営に新風を吹き込む」と唱えた。そして女流棋士として初めて常勤理事に就き、5期目の今年に連盟会長になった。
2024年9月8日に創立100周年を迎えた日本将棋連盟は、新たな一歩として清水の会長就任は意義深いと思う。ある新聞は「盤上盤外での実績が評価されての会長就任を歓迎したい」と評した。
父から習った将棋…「職人技」に憧れていた
清水女流七段の棋士人生と横顔について、いろいろな資料を基に紹介する。
清水は1969年1月9日、東京都東村山市で生まれた。父親の名前「友市」の一字を取って「市代」と名付けられた。小学生時代は外で遊ぶのが好きで、男子と野球やドッジボールで興じた。しかし小学5年のとき、鉄棒遊びで落ちて右腕を骨折し、それを機に将棋に熱中し始めた。
将棋を趣味にしていた父親は自宅で将棋教室を開き、子どもたちに教えていた。父親は「盤上から人生に役立つ考え方を学んでほしい」という思いから、上達や勝ち負けにとらわれなかった。清水には指した手の意味を問い、「その考えなら、ほかにもこんないい手があるよ」と教えた。礼儀作法を大事にし、態度が悪いと厳しく叱った。
清水は中学2年のとき、1982年の女流アマ名人戦に初めて参加した。自信満々だったが、何と1回戦で負けた。それが生来の負けん気に火をつけた。懸命に勉強して臨んだ83年の同名人戦では、優勝候補を連破して見事に優勝した。
清水はインタビューでこう答えている。

