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「冷たい人…実はそう思っていました」井上一樹監督が明かす「監督になって分かった」“落合流”の凄み…中日再建へ背中を押した立浪和義の言葉
posted2025/06/02 11:05
優勝パレードでファンの声援に応える落合博満監督と井上一樹選手会長
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
「それを伝え聞いた時、えらいこっちゃ、と思ったんですよ。そないなこと言われたら……ってね」
井上監督が驚いたというのは、昨年11月に落合博満氏が自身のYouTubeチャンネルで口にした言葉だ。新監督就任についてコメントし、「一樹は選手会長もやったしね。現役終わって一軍のバッティングコーチも二軍の監督もやらせたし、阪神のコーチもやっている。良い監督になるんじゃないですか」とエールを送ったのだ。
「選手寿命を延ばしてくれた」落合監督
井上監督が投手だった駆け出しの頃、「4番・落合」は大スターだった。インタビュー第1回では、一軍の試合でノックアウトされた帰りのバス車中で涙を流している時に、その大スターから激励の言葉をかけられたエピソードを明かしている。一方、監督と選手としては現役生活最後の6年間を共にしており、最後に仰いだ指揮官でもあった。
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「最終的にオレは落合監督のもとでユニフォームを脱ぐことになったんだけど、落合さんが2004年に監督になっていなければもっと前に野球選手を辞めていたと思う。というのは、就任する2、3年前の時期というのは、自分の中で壁に当たってちょっと無理かもしれないと思っていたんです。
もうあかんわ、と諦めかけていたところであの人が来て、これまた紙一重のタイミングで運命が好転し出した。野球人生を振り返った時、自分の選手寿命を延ばしてくれたのは間違いなく落合さんだと思います」
「冷たい人…実はそう思っていました」
山田久志監督時代の2003年は、主に代打の出場で75試合にとどまり、打率.252、2本塁打、5打点。それが落合監督就任後の04年は外野のレギュラーを争いながら113試合に出場し、西武との日本シリーズでは敢闘選手賞を受賞するなど息を吹き返した。2006年には選手会長に就任し、勝負強いバッティングでリーグ優勝に大きく貢献して存在感を示した。

