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「冷たい人…実はそう思っていました」井上一樹監督が明かす「監督になって分かった」“落合流”の凄み…中日再建へ背中を押した立浪和義の言葉
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/02 11:05
優勝パレードでファンの声援に応える落合博満監督と井上一樹選手会長
「ドラゴンズで生きてきた人間なので、阪神というのは想像もつかなかったんです。そんな時に、『ちょっと大阪で勉強して来いよ』と背中を押してくれたのが立浪さんでした。結果的には、阪神での3年間というのもすごくいい経験になりました」
昨秋、立浪監督は自身の退任発表後も、すぐに連絡をくれたのだという。
「まだ自分のところに(監督のオファーは)来ていなかったんですが、『多分話が来るから、そうなったら受けろ』って。『大変だと思うけど、頑張ってみりゃええやないか』と言ってくれました。立浪さんはこれからも変わらず“兄貴分”ですし、アドバイスをもらうこともあると思います」
「よく“人たらし”だと言われますけど…」
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35年前、中日ドラゴンズでの第一歩は「練習生」だった。投手として挫折し、見出した野手の道をエネルギッシュに切り拓いていった。ドラゴンズ一筋で20年間プレーし、引退後は指導者としての経験を重ねて地道に監督に上り詰めた。
自ら「紙一重」と表現する野球人生。ギリギリを生き抜き、運命を好転させてきた秘訣とは何なのだろう。最後に井上監督に、自身が携える一番の「武器」を聞いた。
「端的にいえば運が良かったと言うことでしょうけど。でも、一番は人に恵まれたことですね。監督やコーチ、先輩、後輩……自分を気にかけてくださった方がたくさんいた。よく、“人たらし”だって言われますけどね(笑)。それってある意味オレの長所なのかもしれない。人との繋がりを大切に、人との出会いで学べることをより多く作ろうとしてきたことが確実に今に生きているのかなと思う」
〈井上一樹監督インタビュー第1回、第2回も公開中です〉


