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「今の中日は打てなさすぎ…去年は68本だけ」“開幕11連勝”伝説のドラゴンズ、優勝メンバーが苦言「あの年、山崎・ゴメス2人で64本だから」
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遠藤修哉Naoya Endo
photograph byJIJI PRESS
posted2025/05/30 17:00

1999年9月、中日ドラゴンズが1988年以来11年ぶりのセ・リーグ優勝。ナインに胴上げされる星野仙一監督
外国人投手のサムソンをリリーフに回し後ろは盤石。先発ローテーションは山本昌、野口茂樹の両左腕、門倉健、前年14勝をあげ新人王の川上憲伸、そこにパ・リーグ最多勝の武田が加わった。
「後ろが良かったから先発投手は6回まで飛ばして投げた。6回でゲームを渡せるってのは先発としては大きいよ。まぁ、オレは7回まで投げたかったけどね。リリーフ陣が失敗するのは月に1回くらい。後半でゲームをひっくり返されることがないから先発は安心して投げれたよ」
ドラゴンズは開幕11連勝。スタートダッシュを決めた。
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「オレはヒザを壊して1回だけローテーションを飛ばしたけど、野口、川上、山本昌は丈夫だった。開幕11連勝。あれがなければ優勝できなかった。投手としてはチームが11連敗しても勝率5割だから安心だった。オールスターまで絶対5割でいけると思ったね」
そんなチームの開幕ダッシュを支えたのが、10年目でようやくレギュラーを掴んだ井上一樹(現・中日監督)だった。7番打者として開幕21試合連続安打を記録するなど絶好調。この年が唯一の規定打席到達となる。
「開幕11連勝のとき、めちゃくちゃ打ってたのが井上。ピッチャーから転向した選手で苦労人だったんだけど、あの連勝でようやくレギュラー掴んだ。中日では珍しく明るい性格で、ネガティブなことは言わないタイプ。ムードメーカーだったよね。生え抜きがレギュラー獲らないと絶対にチームは強くならないと思っていたから、あの年の象徴だよ」
「(星野監督は)野手には短気だった(笑)」
その井上は、リーグ優勝を決める9月30日のヤクルト戦で決勝タイムリーを放つ。そんな選手を抜擢起用したのは監督・星野仙一だ。武田にとって明治大学の先輩となる星野の印象は「投手には気長だった」という。
「みんな星野さんを“短気”って思ってるけど、違うんだよ。怒るタイミングが絶妙。オレは島岡(吉郎)さんの野球を経験してたから、だいたい“このへんで怒るんだろうな”ってわかる(笑)」