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「オレ、中日行きたいって言ったのに!」元日本ハム投手が告白…“消された中日トレード”、星野仙一もキレた「ふざけんな! お前のせいだ」
posted2025/05/30 17:50

1998年11月、ダイエーから中日に移籍した武田一浩。じつはこの3年前に“消えたトレード”があった
text by

遠藤修哉Naoya Endo
photograph by
Sankei Shimbun
しかし、中日移籍は突如として消える。球団から言い渡されたのは福岡ダイエーホークスへのトレードだった。なぜ話はひっくり返ったのか。武田が明かす「幻の中日移籍」の舞台ウラ。【NumberWebインタビュー全3回の1回目/第2回、第3回も公開中】
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星野仙一の電話「お前、中日決まったからな」
「仙さん(星野仙一)から電話があったのは、シーズンが終わってすぐくらい。『お前、やっと決まったからな』って言われて。俺も『ありがとうございます』って答えたんだよ」
そう武田氏は懐かしそうに語る。
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1995年、日本ハムの武田は夏頃から二軍暮らしだった。1993年、前年に抑えから先発に転向した武田は10勝8敗、当時の自己最多となる170回1/3を投げ、ローテーションの一角として規定投球回数に到達、エース格に。しかし翌1994年、肩痛を発症し、5勝9敗と不本意な成績で終わっていた。
捲土重来を誓ったその1995年、日本ハムは大沢啓二監督から上田利治監督に政権交代。武田はピッチングコーチとの関係が悪化し、一軍ではわずか2試合の起用で、プロ入り初の未勝利。しかし、ウエスタン・リーグではチーム防御率1位の成績を残し“充実のシーズン”を送っていた。
「二軍ではしっかり投げてたし、球威も戻ってきていた。一軍登板がなかったことでしっかりと自分の練習ができた。仙さんからは8月頃に様子を窺う電話がかかってきた。『お前何やってんだ?』って聞かれて、『ゴタゴタして一軍で投げられません』と答えた。そしたら、『練習しとけ!』って言われて。トレードで取ってくれたら面白いなって思っていた。『シーズン終わったら秋季の沖縄キャンプに来い!』って言われて。こりゃ中日決まりだなって」
星野監督は当時、本気で武田の獲得を考えていた。1995年9月の監督就任決定後に前田幸長(千葉ロッテ)、村田勝喜(西武ライオンズ)の2投手をトレードで補強した。そんななか、経験豊富な武田の存在は、翌シーズンのチーム構想において欠かせないピースだった。だからこそ、明大の後輩である武田に直接電話をかけ、「来い」と言ったのだ。その言葉に武田も応えようとしていた。
激怒した武田「絶対に後悔させます」
しかし、事態は急変する。