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甲子園の風BACK NUMBER
元監督が振り返る「PL学園vs.大阪桐蔭」20年前“超名門対決”の記憶…延長15回→再試合で現れた1年生投手の衝撃「100%桐蔭が勝つと言われたけど…」
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沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)Sankei Shimbun、(R)Nanae Suzuki
posted2025/06/03 11:02
2000年代初頭に甲子園を賭けて争うことが多かったPL学園と大阪桐蔭。中でも2004年の府大会では延長15回→再試合という熱戦だった
未知の土地でもあった長野。当初は家族4人で長野に移住したが、諸事情で家族は数年後に大阪へ戻ったため「最後の何年かは単身で長野にいたんですよ」と藤原は振り返る。
実は佐久長聖も不祥事が起きた野球部の再建を託されての監督就任だった。
始まりはPLと同じだったのだ。
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「僕の高校野球の監督のスタートはいつもそうでした。PLは辞める時も暴力事件が絡んでいましたけれどね」
教え子には「医学部へ進んだ子やパイロットになった子も」
何も知らない土地だからこそ、佐久長聖ではまっさらな気持ちで指導者人生をスタートさせた。PL学園は少数精鋭で1学年は20人にも満たなかったが、佐久長聖では多くの部員を受け入れた。関西圏からも中学生が集まり、1学年が50人近くにのぼることも珍しくなかった。3学年で150人以上の大所帯となることも多かったが、持ち前の熱血ぶりで生徒と向き合いながら選手らの意欲を掻き立て、7年連続で県の決勝に進出するなど、佐久長聖を常勝チームに育て上げた。
「教え子に医学部へ進んだ子やパイロットになった子もいます。そうやって色んな世界で頑張る子がいることがすごく嬉しくて」
地元に戻った今は、生活の全てが新鮮に感じている。
2人の息子も成人し、長男はこの春社会人になった。息子らと飲みに行く機会もでき、指導者時代はほとんど過ごせなかった妻との時間も、かけがえのないものだと感じている。
カブスとのマイナー契約が報道された前田健太を始め、教え子の現在を気にしながら「今はいったん野球から離れたい」と、バットやボールを手にしない日々を送る。それでもまだ50歳、老け込む年齢ではない。むしろ高校野球の監督としてはこれからさらに脂が乗ってくる年齢だ。もし再度指導者のオファーがあれば、今後もどこかで指揮を執る可能性はあるのだろうか。
「今はゆっくりしていますが、そういう話があれば前向きに考えていきたいと思っています。今のところは何もないですけれどね」
2校で足跡を残した“名将”でもある。この春で小休止している野球人生は、まだまだ続きが描かれていきそうだ。

