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甲子園の風BACK NUMBER
打者は全員スイッチヒッター、8年前からノーサイン野球…でも「21世紀枠の推薦校」に? 秋大会で大阪ベスト16進出「ナゾの公立高」の秘密を追う
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清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byTakeshi Shimizu
posted2025/06/01 17:00
2022年の秋季大阪大会でベスト16まで勝ち進んだ府立佐野高校。当時から珍しい「全員両打ち」のチームスタイルだった
府立佐野高校は大阪府の南部、泉州地域の泉佐野市にある創立120周年を超える伝統校だ。南海本線泉佐野駅から徒歩で15分ほど。正門の石碑とモダンレトロな校舎に趣がある。
現在は3年生7クラス、2年と1年が6クラスずつで全校生徒900人弱が通う。普通科と国際文化科があるが、他の府立にもれず、今年度は国際文化で定員数割れがあった。大阪府全域から通えるが堺より北から通う生徒は数えるほどで地元感が色濃い。
「広島生まれ」藤井元監督の原点
藤井さんは広島の生まれだ。
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高校は公立に合格したが辞退して広島電機大附属高校(現広島国際学院)に入学した。進学校を辞退しての私立選択で、周囲を騒がせた生徒だったようだ。高校野球部では下関国際の坂原秀尚監督の3年違いの後輩にあたり広島商、広陵を倒したくて高校を選んだという。3年春には県3位にもなった。
広島大に行きたかったが学力が足りず高知大に。高校野球の監督をやりたくて採用試験に受かったのが大阪府だった。その頃は教員の採用がどの都道府県も極端に少なかった時代で、広島は200分の1でやむなく20人の採用があった大阪を受験すると、見事に合格する。
「大学も就職も第1志望はかなってない。生きていけるところを探すという、はいつくばって、しがみついて生きてきた」
そういって、本人は謙遜する。
佐野高校に赴任したのが2004年。大阪はまったく、未知の土地だった。赴任直前の3月末に校長からの電話で「佐野高校はどこにあるんですか」と聞いたほどだ。
当時の野球部は卒業したOB大学生が監督をしていた。そこに熱意のある若造が来たのでやらしてみようと藤井さんが新チームから監督に収まる。25歳だった。
<次回へつづく>

