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落合博満に見抜かれた「おまえ、辞めるつもりじゃねえだろうな」近藤真市が語る“あのころ、中日が強かった”本当の理由「教えすぎるな」監督・落合の流儀
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森合正範Masanori Moriai
photograph byTamon Matsuzono
posted2025/05/15 11:38
中日の黄金期を築いた監督・落合博満。落合のもとで投手コーチを務めていた近藤真市はその野球観に絶大な影響を受けた
「年間60敗、どうやって負けるかな」
コーチ陣にはもう一つ掟があった。
「選手より先に帰るな」
コーチは、選手全員が練習を終えるまで責任がある。選手の一挙手一投足を見逃してはならない。指導するほうも全身全霊を傾け、何時になろうと最後まで残る。近藤は、投手がウエートルームに入るまで見届け、そこから翌日の練習メニュー作成に取り組んだ。
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近藤は当初、二軍でリハビリ組を担当する投手コーチだった。しかし、ほんの数カ月で配置転換となった。
2004年6月、一軍投手チーフコーチの鈴木孝政が突然、降格となり、入れ替わって一軍昇格。鈴木が二軍に落ちた真相はわからない。だが、投手部門の責任者が降格という異常事態。チームに緊張感が漂う中、ブルペンを担当することになった。一軍の投手コーチには森繁和がいた。
「そこ(森)とちゃんとコミュニケーションをとって、うまくやってくれ」
昇格したとき、落合から一言だけ告げられた。
森が先発ローテを組み、近藤が第2先発、中継ぎ、勝ちパターンなどを考える。投手起用は試合の展開によって、刻一刻と変わっていく。最初の頃、森から「誰をつくらせているんだよ!」とよく怒られた。戦況と叱られたことをメモし、森の起用法を必死に学んだ。この展開ならこの投手だなと引き出しを増やし、近藤のプランが採用されるようになった。
落合は相性を重視した。この打者なら、この投手がいい。しかし、たとえ相性が良くても、投手の調子が悪ければ、「こちらで行ってください」と近藤は進言した。
初年度は岡本真也、平井正史、落合英二、久本祐一、岩瀬仁紀。そこから年ごとに、高橋聡文、鈴木義広、浅尾拓也、小林正人、河原純一らを代わる代わる起用し、盤石の中継ぎ、リリーフ陣を作り上げた。2010、11年は浅尾・岩瀬のリレーでリーグ連覇を達成した。
8年間でリーグ優勝4度、日本一1度、すべてAクラス。なぜ、これほどまでに強かったのか――。
近藤はいくつか理由を挙げた。
「逆算」「練習」「信用」「観察」の言葉が浮かび上がってくる。
落合はいつもこうつぶやいていたという。
「年間60敗、どうやって負けるかな」

