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落合博満に見抜かれた「おまえ、辞めるつもりじゃねえだろうな」近藤真市が語る“あのころ、中日が強かった”本当の理由「教えすぎるな」監督・落合の流儀
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森合正範Masanori Moriai
photograph byTamon Matsuzono
posted2025/05/15 11:38
中日の黄金期を築いた監督・落合博満。落合のもとで投手コーチを務めていた近藤真市はその野球観に絶大な影響を受けた
コーチに口を出さない“落合の流儀”
――どう負けるか、ですか。
「落合さんは、144分の1でしょ、60分の1でしょ、って言い方をよくされるんです。144試合が頭に入っていて、そこから逆算しているんです。60は負けられる。この時期は5割でいけばいいとか、僕らではわからない野球観がありましたね」
そして、近藤の声はワンオクターブ上がり、こう言った。
「9月から絶対に落ちないですからね。その体力があるんですよ。厳しいですもん、練習が。キャンプは6勤1休でしょ。練習量、半端ないっすよ。4勤1休だったら、僕だって楽でしたもん。もう休みじゃん、みたいな」
9月以降に負け越したのは、8年のうち、2回だけ。そのうち1回はキャンプを4勤1休にした2005年だった。
――ブルペンも盤石でした。
「中継ぎ陣も練習量ですよ。6勤毎日ブルペンに入った。球数は15球でも20球でもいい。シーズンを想定して少ない球数でもピッチングしなさい、と。もし肩や肘が張っているなら、1日休むのはいい。だけど、2日休む中継ぎ投手は誰もいなかったね」
――それが9月に生きてくる、と。
「オールスター期間になれば、そこでもまた走りこむ。体力があるから、シーズン終盤に息切れすることはなかったですよ」
あの頃はやり切っていた。どこか誇らしげな口調だった。
落合はコーチに一切、口を出してこなかった。
「おまえたちに任せる」
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近藤にとって、その言葉が重かった。信用されているからこそ、責任感が芽生え、逆にプレッシャーを感じるほどだった。試合展開によって、どの投手の肩をつくらせ、どのタイミングで準備を止めさせるか。近藤は頭をフル回転させ、試合が終わると、いつもブルペンの椅子に体を預け、ぐったりしていた。
8年間で投手陣について、指示されたことは一度もない。ただ、要望されることはあった。
「きょうはピッチャーを突っ込んでくれ」
そう言われるのは決まって連敗中のときだった。選手名を出さず、あとは任せるのも落合らしい。おそらく、ここで止めないとズルズルいって60敗を超えてしまうのだろう。近藤は、落合ならではの計算があることを悟った。

