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史上唯一の偉業「18歳が初登板でノーヒットノーラン」26歳で引退した“中日の伝説的ルーキー”近藤真市は今…「昔は何も聞けなかった」元番記者が直撃
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森合正範Masanori Moriai
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/05/15 11:35
プロ野球史上唯一の偉業「初登板でノーヒットノーラン」を達成した近藤真一(現:真市/当時18歳)
近藤真市の悔恨「あれはね、やっちゃいけなかった」
目的地の岐阜聖徳学園大に到着した。やはり風が強い。硬式野球部の監督を務める近藤が早足にやってくる。教員室の前へと我々を導き、頭を下げた。
「こちらにどうぞ」
そう言って顔を上げ、私の顔を見た瞬間、少し驚いたような、怪訝な表情になった。
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「えっ、なんでおんの?」
小声でそうつぶやいた。
インタビュー場所である会議室で向かい合う。
――お久しぶりです。ご無沙汰しています。
「おお、いつ以来?」
――お会いするのは、自分が担当を外れたのが2014年なんで約11年ぶりです。
「当時、全然話さなかっただろ?」
――まったく話してくれませんでしたね。
「取材が嫌いだったから」
私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
インタビューのテーマはノーヒットノーランとその後のプロ野球人生、近藤から見た星野仙一。もし可能ならば「監督・落合博満」を聞ければと考えていた。
――きょうは、できれば落合政権のときの話もしていただきたいんですけど……。
「全然いいよ」
あっけらかんとそう言った。
あの頃の人を寄せ付けない雰囲気ではない。近藤の語り口と顔つきが、私の心の奥底にあった不安の塊を解かしていく。
――では、まず、ノーヒットノーランのことからいいですか。
「おお、いいよ。あれはね、やっちゃいけなかった。やっちゃいけない」
語気を強めて、私の目をじっと見た。
「初登板でノーヒットノーランって史上初でしょ。メジャーでもないって言われる。高校出てすぐにやっちゃいけない記録だって、ずっと思っている。いまだにね」
「おまえ、きょう投げてみるか?」
遡ること38年。
1987年8月7日、近藤はナゴヤ球場で試合のスコアを付けていた。
「明日、一軍な」
当時、二軍の投手が一軍を経験するため、打撃投手として呼ばれることが多かった。
「どうせ左右でバッティングピッチャーに行くんだろ」
同期入団の右腕、西村英嗣とそんな会話を交わしていた。だが、翌日、ナゴヤ球場に行くと、「今日から一軍だ」と告げられた。おいおい、これは話が違うぞ、本当の昇格かもしれないと胸が高鳴った。
翌9日、先輩投手に混じって、ナゴヤ球場の外野で試合前練習を終えた。一塁側のベンチに帰ってくると、投手コーチの池田英俊に呼び止められた。
「おまえ、きょう投げてみるか?」

