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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
酔っ払った前田日明からの電話「俺にもう1回チャンスをくれ」船木誠勝が前田との初試合で“耳打ち説教”された日…UWFでの快進撃にあったウラ事情
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/05/15 17:00
新日本プロレス時代の船木誠勝(1987年撮影)
「前回の武道館での試合後、前田さんにリング上で説教されて、さらに夜中に電話でも話しましたけど、そうやって話し合えたことで前田さんとの信頼関係が生まれたような気がしたんですよ。だから大阪城ホールでの再戦では、自分と前田さんがお互いに歩み寄って、格闘技色を強めながらもガンガンやられたらやりかえす、UWFのプロレスができたんです。それでお客さんもすごく沸いてましたし、最後は胴絞めスリーパーで負けたんですけど、自分にとってUWFの総決算のような試合ができたような気がしますね」
船木と前田の一戦は名勝負となったが…
こうして若手の急先鋒だった船木と絶対的なエース前田の一戦は、プロレスからはみ出すのではなく、格闘プロレスの真髄を見せるような名勝負となった。ここからUWFはどんな進化を遂げていくのか。ファンの期待が再び高まったが、UWFはリング外で危機を迎えてしまう。
大阪城ホールでの試合後、前田とUWFを運営する神新二社長と鈴木浩充専務の対立が表面化。前田が神社長らの金銭不正疑惑を記者の前で糾弾すると、神社長側はその発言を会社への背信行為として前田の5カ月間出場停止処分を発表。結局、選手と運営が対立し90年12月1日の松本市総合体育館大会を最後に、ブームを巻き起こした新生UWFはあまりにもあっけなく解散した。
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船木によるプロレスから格闘技への道はここで一度閉ざされるが、その後、UWFが三派分裂してからプロフェッショナルレスリング藤原組でその流れは加速することとなる。しかし、それには師匠格であった藤原喜明との衝突と別れも避けられなかった――。
《インタビュー後編に続く》
