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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
酔っ払った前田日明からの電話「俺にもう1回チャンスをくれ」船木誠勝が前田との初試合で“耳打ち説教”された日…UWFでの快進撃にあったウラ事情
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/05/15 17:00
新日本プロレス時代の船木誠勝(1987年撮影)
酔っ払った前田からの電話「俺にもう一回チャンスをくれ」
「あの頃、ちょうど自分が『いつになったら格闘技にするんですか』とか言ってた時期だったんで、前田さんもかなり警戒しながら慎重に闘ってましたね。とはいえ潰しに来るのではなく、ある程度、自分の意向を汲んで歩み寄ってくれているのは感じてました。グラウンドで前田さんが上、自分が下になった場面で、前田さんの上からの攻めに対して自分が下から強い掌底を返して激しくやり合った時、前田さんが一瞬“ニヤッ”と笑った気がしたんですよ。その時、『前田さんも道場でやってるようなリアルな闘いがしたいんじゃないか』と感じてうれしかったんです。
でも、前田さんが考えていることは違いましたね。自分が寝技でバックを取った時、周りには聴こえない小声で『客席をよく見てみろ。全然沸いてないだろ』って言われたんです。自分がボクシングとレスリングに固執したため派手さがない展開になったことで、観客が沸いてないことを前田さんは気にしてたんです。
その時にハッと我に返って。自分はプロなのに独りよがりの闘い方をして、空回りしてたのかって、ちょっと恥ずかしくなりましたね。それですぐにボクシングの打ち方での掌底連打でダウンを奪って、その時に初めてお客さんが沸いて。結局、最後は前田さんのジャーマンを食らって片羽絞めで自分が負けたんですけど、試合後、リング上で前田さんに耳打ちで説教されたんですよ。そこで言われたことが的を射ていただけに悔しくて、『お客さんが見ているリング上で言うことないじゃないか』って、自分は不貞腐れてしまったんです」
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試合後、船木は前田と自分に対する悔しさでシャワーも浴びずに、前田が記者に囲まれコメントを出している脇を横切って、ひとり先にタクシーで会場を後にした。
「家に帰ったあとも悶々として夜中まで起きていたんですけど、そしたら酔っ払った前田さんから電話がかかってきたんです。そこで『今日の試合はあれで仕方がない。でも、俺がインタビューを受けている時に先に帰るのはよくないぞ。俺にもう一回チャンスをくれ。絶対におまえといい試合をする自信があるから』って言われたんですね。その時、『チャンスをくれ』の意味はわからなかったんですけど、自分のことを全否定するのではなく、気にかけてくれているのは感じました」
“実験”を経て始まった船木の快進撃
鈴木戦、前田戦の“実験”を経て、ここから船木の快進撃が始まる。90年6月21日の大阪府立体育館で山崎一夫と対戦すると、直近の2試合とはガラリと戦法を変えて骨法とボクシング仕込みの掌底でガンガン攻め込むと、山崎が右瞼をカットして出血したため、結果はレフェリーストップで船木が勝利。それまでUWFは前田、髙田延彦、山崎、藤原喜明の上位陣と若手との間には大きな“差”が存在したが、船木がついに上位陣の一角である山崎を下した。
さらに8月13日横浜アリーナでの髙田戦でも同じく打撃で攻め込むと船木のヒザ蹴りによって髙田が右目上をカット。ふたたびレフェリーストップで、前田に次ぐ“ナンバー2”である髙田にも勝利を収めた。
この山崎戦、髙田戦の勝利は“アクシデント”ではあったが、いずれもルールで許されている掌底やヒザ蹴りといった打撃攻撃。船木は格闘技術によって“アクシデント”を呼び込むことで序列を崩し、UWFに新しい流れを生んでいった。その後、船木は9月に若手時代からの師匠格である藤原をKOで破り、90年10月25日大阪城ホールで、ついに前田日明との再戦を迎える。

