革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄が「ものすごい形相で」…同学年・小池秀郎の2軍落ちに「俺も落とせ!」「いや、できない」首脳陣と完全決裂“朝帰り事件”の真相
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/05/16 11:01
1994年、野茂英雄と鈴木啓示監督ら首脳陣とのあいだの「軋み」が表面化したのは意外な事件からだった
一気飲みの勝者がスタメンに
ある日の札幌遠征中には、サッポロビール園に選手たちを集め、ジンギスカンに舌鼓。その後、生ビールの一気飲み大会が始まると「よし、一番早く飲んだヤツは、明日のスタメンだ」と仰木が音頭を取って、同じポジションの若手選手たちの“早飲み競争”を開催。本当にその翌日、一気飲みの勝者がズラリと先発メンバーに名を連ねたという。
「面白かったですよ。ホントに一気飲みで勝った人、スタメンで出したんですから。あの時、レギュラーが決まっていた私と大石(大二郎)さんは一気飲みがなかったのかな。吉井(理人)なんか、飲めないのに死ぬ気で飲んでたもんな」
笑いながら、仰木時代の豪快エピソードを披露してくれたのは、当時の4番打者で、現参議院議員の石井浩郎だった。それが近鉄らしさであり、だから、試合後に飲み歩いての“朝帰り”でも、グラウンドで結果を出せばいいとばかりに、あれこれと咎められるようなチームではなかったのだ。
結果も出ていないのに遊び歩いている?
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しかし、その時に鉢合わせしたコーチ陣は、野茂と小池との“遭遇”を、監督の鈴木啓示に報告したようなのだ。そこで問題視されたのは、小池が19日の試合で痛打され、中継ぎの役割を果たし切れずに降板していたことだった。
結果も出ていないのに、アイツは遊び歩いている。その“結び付け”から、小池の2軍落ちが、即座に決まったのだ。
この懲罰人事ともいえる処遇に、野茂が激怒した。博多から日生に到着した野茂は、監督室へと向かった。

