革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄が「ものすごい形相で」…同学年・小池秀郎の2軍落ちに「俺も落とせ!」「いや、できない」首脳陣と完全決裂“朝帰り事件”の真相
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/05/16 11:01
1994年、野茂英雄と鈴木啓示監督ら首脳陣とのあいだの「軋み」が表面化したのは意外な事件からだった
大事な試合で痛打され、落ち込んでいた小池を、こちらも68年生まれの、当時の中継ぎエース・佐野重樹(現・慈紀)とともに慰めようと、野茂は自らが9回完投、その年の初勝利を挙げた21日のダイエー戦を終えると小池に声をかけ、同級生3人で、博多の夜の街へと出かけたのだという。
朝帰りしてきたふたり
ダイエー3連戦は、火、水、木。移動日なしで、金曜日はまず日生球場、土、日曜日は藤井寺球場でオリックスと3連戦。こういう日程の場合は、監督、コーチ、選手たちの多くが、金曜早朝の新幹線に乗って一度自宅に戻り、車に乗って日生にやって来るパターンで動く。
もちろん博多から直接、日生に入る選手たちもいる。日生での練習開始が午後2時頃で、それまでに球場入りすればいいから、ホテルでゆっくり休んでから、新幹線に乗っても構わないのだ。
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だから、4月22日の金曜日の朝には、早朝の新幹線に乗ろうと、複数のコーチたちが早々にホテルをチェックアウトしようとしていたのだという。
間の悪いことに、そのタイミングで宿舎に戻って来たのが、野茂と小池だった。
近鉄は門限があるようなチームじゃない
「近鉄ってさ、門限があるようなチームじゃなかったじゃん。仰木(彬)監督の頃の流れもあって、グラウンドで結果を出せば、私生活はもう自己管理の世界だから、ナイターが終わって、夜遅くまで飲み歩くっていうのは、別に何ともない、普通のことだったんだよ」
阿波野秀幸が証言するように、仰木監督時代の近鉄は、お酒にまつわる裏話にはそれこそ事欠かない。何しろ遠征先で連敗が続くと、球場から宿舎へ帰るバスの車中で、仰木自らマイクを持ち「気分転換や。朝まで飲んでこい」と選手たちをけしかけることすらあったという。

