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「ちゃんとした言葉は覚えてないんですけど…」渡辺勇大(27歳)が今明かす、“わたがしペア”が解散を決めた日…最後の試合で見た“ある光景”
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShiro Miyake
posted2025/05/13 11:00
渡辺勇大が明かす、五十嵐有紗との“わたがしペア”解散までにあった思いとは――
東野と共有する“ある思い”があったから
渡辺は東京で生まれ育ち、2010年、福島県の富岡町立富岡第一中学校に入学。1学年上に東野がいた。東日本大震災に見舞われたのは2年生への進級を間近に控える3月11日だった。原発事故もあり、福島県内で移転を余儀なくされたが、移った先で生活環境や練習環境を整えてもらい、部活を含めた学校生活を過ごした。
「苦しい中でも町民の皆さん、県の皆さんがすごく動いてくださいました。県外からも『道具を使って』と言ってくださったり、練習着を譲ってくださったりする方がいました。そのときももちろん感謝しましたけど、大人になってあらためて、自分自身も苦しい中で誰かを支える、誰かを助けて未来に残そうとしてくれる姿を思い出し、僕自身も残せていけたらな、と思いますし、恩返しはバドミントンを通じてというところがやっぱり大きいと思います。競技者であるうちはいい成績を出す、それで皆さんに喜んでもらいたいというのが大きかったです」
東野とは、中学、そして富岡高校で震災を乗り越え、日々を過ごす経験を共有した。
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「お互いに話すことはあまりないですけど、(東野の思いも)いろいろなメディアの方に聞かれるときに『恩返ししたい』という気持ちがいちばん出てくることで伝わってきますし、その思いが一緒だったからこそ成長できたのかなと思います」
中学2年生のとき、富岡高校・富岡一中合同でインドネシアに遠征した際、東野と初めてペアを組む機会を得た渡辺は、のちに数々の功績をあげて、終止符を打った。
東野とのペア解消は、惜しむ声も多く大きな反響を起こしたが、ジャパンオープンを前にもう一つのニュースが話題を集めた。
翌月の全日本社会人バドミントン選手権に、田口真彩とエントリーしたことだった。《インタビュー第2回に続く》

