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「死にそうじゃねぇかよ…」伊沢拓司が敗れた“本当の天才”…なぜクイズ界から消えた? “衝撃の引退宣言”全真相「青木は、強すぎたんです」
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byL)本人提供、R)Keiji Ishikawa
posted2025/05/14 11:03
「引退宣言」でクイズ界を揺るがした天才・青木寛泰は今――
青木が進学した東大の理科Ⅱ類は、基本的には生物学や化学・物理学を中心に学ぶコースだ。だが、東大には2年の夏までの定期試験の点数によって、どこの学部に行くか選べる“進振り”というシステムがある。
青木は入学後の1年時の成績がトップクラスだったこともあり、医学部への転科を考えていた。ただ、それは医者になるためということではなく、医学研究の分野への興味が強かったからだった。
「基本的に医学部は医者になるためのカリキュラムです。なので、研究者になりたい場合は授業以外に課外活動的に自分で自主的に学習しなければならない。それはそれでかなり時間を取られることになるんです」
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ただでさえ忙しい医学部の授業と、本来進みたい研究の分野。それに加えてクイズのトレーニング。しかも青木のクイズの実力は、1日で起きている時間のほとんどをクイズに費やすような、圧倒的な実践量で維持されていた。裏を返せば、その継続力と集中力がなければ、青木は天才でいられなくなってしまう。
だが、その時間が取れない。
このままではいずれ勝てなくなることを、なにより青木自身が最も分かっていた。
クイズ界を震撼させた“引退宣言”の真実
「少なくとも今の状況では、クイズに力を割ききれない。これまでの努力量を維持できない以上、いつかは誰かに追いつかれることになる。かといって、誰か倒すべき目標もいるわけじゃない。そうなると、負けるために努力を続けているような感じですよね。そのうちに、どんどんクイズをやるのが苦しくなっていきました」
そもそもクイズというものは、様々な楽しみ方があってしかるべきものだ。
競技クイズで勝てなくとも、知識を得る手段として考えても良い。もちろん、シンプルにただ楽しむこともできたはずだ。だが、当時の青木には、そういう考え方ができなかった。
「のんびりと仲間でクイズをワイワイやって、楽しむ。当時は、そういう選択肢がなかったんですよね。やるならとことんやる。できなくなったらもう……どうすればいいんだろう、みたいな。いまだったら、それってすごく不幸なことだったと思えるんですけどね」
ほんの少し周りを見渡せば、色とりどりの色彩の絵具が広がっているはずだったのだ。
だが、青木は黒い鉛筆での、シンプルなデッサンの上手さだけにこだわり続けた。高校時代にリーディングランナーに輝いて以降、鋭さだけを求めて削り続けた鉛筆は、ついにそこで砕けた。
「思い返すと、もうちょっと気楽に考えとけば……と思うんですけどね。あの時はもう、ただただまっすぐだったので」
2015年、青木が大学1年生の3月。
埼玉のコンサートホールで開かれた13回目のabc。史上最多タイとなる3度目の優勝を決めた青木は、その場でクイズ競技からの引退を宣言した。
