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「え? ジャイアンツじゃん」斎藤雅樹を“平成の大エース”に導いた運命の選択「中日入り確実」が急転…ドラフト直前に現れた“ナゾの新聞記者” 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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posted2025/05/02 17:01

「え? ジャイアンツじゃん」斎藤雅樹を“平成の大エース”に導いた運命の選択「中日入り確実」が急転…ドラフト直前に現れた“ナゾの新聞記者”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

数々の記録を打ち立てた「平成の大エース」巨人・斎藤雅樹

「変貌」のきっかけ

 身体も小さく、自分に自信もなかった。それでも肩だけは強く、レッドボーイズで捕手に抜擢されたのもその肩の強さを買われてのことだった。

 そんな斎藤が最初の変貌のきっかけを得たのは、市立川口高校に入学して、元阪神投手だった内山清監督に出会ったことだった。内山は最初から斎藤の投手としての才能を見抜き、ピッチングのイロハを手取り足取り指導してくれた。

「高校に入って身長もバーンと伸びて、3年生になると180cmくらいになっていました。その頃には埼玉県でも、市立川口の斎藤ってまあまあ球が速いぞ、とちょっと名前が知られるようになっていた。ただおそらくプロのスカウトの方に注目していただいた決定的な出来事は、6月に早実(早稲田実業高校)とやった練習試合だったと思います」

荒木大輔との投げ合い

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 当時の早実は荒木大輔が3年生となり、“大ちゃんフィーバー”はまさに最高潮。全国的に注目を集めて、おいそれと練習試合も組んでもらえない人気チームだった。

「あの練習試合が何で組まれたのか……いまだにわからないんです。僕らも試合そっちのけで『大ちゃんが見られるぞ!』って言っていたくらいでしたから」

 斎藤は振り返る。

 確かにいくら監督がプロ野球出身とはいえ何の変哲もない公立校と、当時の早実が練習試合を組んでくれるはずもない。逆に言えばそれだけ斎藤の名前が高校野球界で知れ渡ってきていた証でもあり、当日はプロ球団のスカウトが荒木だけではなく、斎藤を見ようと試合会場にやってきていた。

「試合は0対1で負けたんですけど、僕はその試合に先発して三振を10個くらい取ったんですね。試合にはプロのスカウトが来ていたと聞いて、自分の中ではこの頃からプロに行きたいという気持ちが次第に大きくなっていきましたね」

膨らみ出した「プロ」の夢

 夏の甲子園予選は県大会決勝で敗れたが、斎藤の心の中ではプロ入りへの夢がどんどん膨らんでいくばかりだった。

「3年生になってから学校にプロのスカウトの方が来ているという話を聞いて、自分がそれくらいに見られているんだ、と。実は監督に言われて、早稲田大学のセレクションを受けに行ったりもしました。でもプロじゃなかったら大学? って考えると勉強なんかしたくなかったし、何より大学は先輩と後輩の関係が厳しく、殴られるっていうのが頭にあった。うちの高校はそんな感じじゃなかったし、実際に一度も殴られたことがなかったから、『オレ、絶対にそんなところは嫌だ!』って思っていましたから」

【次ページ】 「新聞記者」の正体は…

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