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「ここらで一番のイケメンだよ!」慶應大卒・元ラグビー日本代表が“浅草の人力車”で大活躍中「じつは今年中にお餅屋を…」意外すぎる転身理由
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byKYODO / Yuki Suenaga
posted2025/04/10 11:04
ラグビー日本代表から人力車の車夫へ、驚きの転身を遂げた児玉健太郎さん
ラグビーよりテニスに夢中だった理由
児玉がラグビーに出会ったのは小学1年の頃。周囲は野球やサッカーに興じていたが、だったら自分は、と地元福岡の名門・鞘ヶ谷ラグビースクールに入った。ただ、当時は痛くて怖いラグビーよりも爽快なテニスに夢中だった。
「小学生のときはテニスのスクールにも通っていたんですよ。中学の部活もテニス部で、高校の推薦もあったと思うんですけど。でも、仲間に恵まれてどんどんラグビーが楽しくなって、両親も集団競技をやらせたかったみたいで、高校はもうラグビーだなと」
本人曰く「中学時代は足も速くなかったし、県選抜にも入ったことない」。それでも、身体をぶつけあった仲間と過ごしたラグビーの時間は居心地が良かった。同じラグビースクールの先輩に誘われ、進学校でもある小倉高校に進学した。
憧れの慶應大ラグビー部に入部も…
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バレーボール選手だった父親譲りの身体能力が開花したのは高校時代だ。
勉強は得意ではないと言いながらも勉学との両立に情熱を注いだ3年間。厳しい練習で毎日ヘトヘトだったが、教室では最前列が定位置だった。当時の福岡県は絶対王者・東福岡高校が君臨していたことで悲願の花園出場こそ叶わなかったが、高校日本代表に名を連ねる選手に成長。早慶戦を観て憧れた慶應大学環境情報学部にAO入試で見事合格を果たした。
ラグビー部ではまったく同じ経歴を歩んだ先輩・山田章仁の“後継者”と期待され、1年生から対抗戦に出場。スター軍団と呼ばれた早稲田大に10年ぶりに勝利するなど、前途洋々のスタートを切った。
しかし、ここから児玉の活躍はピタリと止まる。それどころか、3年時には謹慎処分が下されたのだ。
「あの1年間は坊主頭でした。でも、信じてない道を行く自分が情けないと思って、そういう行動に移したんですけど」
その話をしますか……と頭を掻きながら、児玉は若き日の自分をゆっくりと回想し始めた。〈つづく〉


