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「ここらで一番のイケメンだよ!」慶應大卒・元ラグビー日本代表が“浅草の人力車”で大活躍中「じつは今年中にお餅屋を…」意外すぎる転身理由
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byKYODO / Yuki Suenaga
posted2025/04/10 11:04
ラグビー日本代表から人力車の車夫へ、驚きの転身を遂げた児玉健太郎さん
「まず、やりたくないことを書き出した」
児玉が引退後の自分を想像し始めたのは、ラグビー人生をあと1年と見定めていた2023年秋。所属していたNECグリーンロケッツ東葛で3シーズン目の開幕を控えていた頃だった。
「神戸製鋼をクビになった時はまだ現役を続けたいと思っていたんですけど、移籍したNECでシーズンを終えた時に、第一線に戻れるイメージができなくなっちゃって。終えた時にはもう32歳。リーグワンで(選手として)もう間に合わない、無理だなって思ったんです。
でも、引退後にやりたいことを考えてもなかなかピンとくるものがなくて。だから、やりたくないことから書き出していったんです。ずっとラグビーをやってきたから一生分の紫外線を浴びてきた。次は過ごしやすい気候の国で生活したい。だったら、日本の文化や伝統の何かで力をつけてから海外でビジネスをできないのか。そんなことを考えていました」
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デスクワークは苦手な性分。年功序列の社会で生きることもたぶん向いていないだろう。海外生活を軸に考えたことで、ビジネスプランが浮かんできた。
それにしても、なぜ“お餅屋”だったのか
「お餅屋をやろうと思ったのは、再現性が高いから。たとえば、“寿司”は外国人にわかりやすいかもしれませんが、今から職人になるのは時間がかかるし、市場が違えば水も違う国で日本と同じ味を再現するのは難しい。でも“お餅”は、その国の水が硬水だったとしても蒸す時に軟水を使えばいいだけ。
日本からドライで送って現地でふやかせばいい。それに、“餅つきパフォーマンス”に興味をもってもらえるかなと思ったんです。今はオランダで出店を考えているんですが、現地でジャパンフェスを開いて餅つき体験をやりたい。特別、お餅が好きだったわけではないですけど、興味を持ち始めてからどんどん面白くなっちゃって」
自分の心の声に忠実に生きてきた児玉らしい“第二の人生の出発点”だった。

