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ドラフト目玉への“不義理”で大学監督に土下座も…なぜ横浜を辞めたスカウトは巨人・原監督と阪神・星野監督に「一緒にやろう」と歓迎されたか 

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長谷川国利

長谷川国利Kunitoshi Hasegawa

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posted2025/04/08 11:03

ドラフト目玉への“不義理”で大学監督に土下座も…なぜ横浜を辞めたスカウトは巨人・原監督と阪神・星野監督に「一緒にやろう」と歓迎されたか<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2007年の原辰徳監督と星野仙一監督。巨人と阪神で指揮を執っている際の“スカウト引き入れ”秘話とは

 横浜の広報をしていた、私と同期の竹田光訓が明治大出身で星野さんの後輩にあたるのですが、甲子園で試合があった時に星野さんから言われて電話をかけてきたのです。

「星野さんが阪神に来ないかと言っているぞ」

 星野さんはその時、竹田の横にいたそうです。契約金も出すし5年間は契約するという話で、条件は破格でした。

星野さんって凄いな…感謝しつつ巨人を選んだワケ

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 星野さんって凄いなと思いましたし、自分を高く評価してくださったことは本当にありがたいことでした。ただ、一番に声をかけていただいたのは原監督ですし、お父さんの原貢さんは私にとっては恩師に当たる方。そんなこともあって星野監督には丁重にお断りを入れ、巨人でお世話になることに決めました。ただし、昨日まで火花を散らして有力選手を獲り合っていたライバル球団に、退団してすぐに移籍というのもいかがなものかと思い、巨人には翌年の2003年からお世話になることにさせていただきました。

 翌年から、巨人で新たなスカウト人生が始まりました。〈つづく〉

#3に続く
「じつは私、巨人のスカウトなんです」内海哲也でも西村健太朗でもなく…実家の居酒屋に通い詰めるほどホレた左腕とは《2003年ドラフト裏話》

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