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「(星野)仙ちゃんが『そういうもんだよ』って言うから」“ハマのドン”94歳が明かした「松坂大輔がベイスターズに入らなかった」驚きの真相
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/04/02 11:21

「あの男」の進言がなければ、松坂大輔は西武ではなく社会人に進んで横浜に入っていた…かもしれない!?
優勝の瞬間、選手たちが反対側に行ってしまった
「私はグラウンドにいました。優勝が決まった瞬間、選手たちが三塁側に流れていっちゃったのを覚えてる。勝った、勝ったって、一塁側に来るのかと思ったら、キャッチャーの谷繁(元信)だとか、みんな三塁側に行っちゃった。勝った喜びと興奮でね。
三塁側には西武の(ヘッド)コーチで、前に横浜で監督やってたの(須藤豊)がいた。あの年は、彼が育てた選手で勝ったんだよ。選手にはそういう意識もあったのかもしれないな」
確かに、現監督の三浦大輔、抑え投手だった大魔神・佐々木主浩らは、須藤監督時代に頭角を現している。現野手コーチの石井琢朗の直訴を聞き入れ、投手から内野手に転向させたのも須藤だった。
松坂大輔にアドバイス!?
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日本中が横浜フィーバーに沸いた98年、ドラフトの目玉も横浜高のスーパースターだった。夏の甲子園で優勝し、“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔である。藤木氏は、松坂が高校在学中から、当時の監督・渡辺元智とともに何かと面倒を見ていたという。
「横高が甲子園へ行く時は、野球部がここ(藤木企業本社)へ挨拶に来てくれていた。みんなそろって、ゾロゾロとね。俺は後援会の会長ではなかったけど、応援はしていたからね。渡辺ゲンさんの仲人も俺がやったんだ。
その時ね、俺、松坂に何かいい言葉を言ったんだ。サードにランナーがいて、これ(セットポジション)になった時に、その言葉を思い出したと松坂が言ってた。俺、何て言ったのかなあ。自分では全然、思い出せない。単なる出来心でしゃべっただけだからな、何か信念があって言ったわけじゃないよ(苦笑)」
西武が引いた松坂を社会人に行かせようかと
それぐらい松坂に目をかけていただけに、藤木氏がベイスターズ入りを切望していたことは言うまでもない。が、98年のドラフトでは、横浜、日本ハム、西武が1位指名で競合し、クジ引きの結果、西武が交渉権を獲得。藤木氏はいったん松坂を社会人野球のチームに預けて、来年のドラフトを待つことにしようと考えた。
そこへ、思わぬ人物から待ったがかかる。