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「ホエールズの横浜移転の面倒を見た」“ハマのドン”94歳が語る驚愕のベイスターズ裏面史「横浜市長が『なんであんなに弱いんだ』って」
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byNumberWeb
posted2025/04/02 11:20
大洋ホエールズの横浜移転、TBSへの球団譲渡とベイスターズの節目節目に常に関わってきた藤木幸夫氏。かつては横浜スタジアム会長も務めていた
「それで、中部さんが俺のところに来てね、ホエールズを川崎から横浜に持って来たいと。移転するのはいいんだけど、お金の問題で揉めてな。塩水港精糖の久野(修慈)さんが球団社長をやっていて、よく(横浜スタジアム側と)ケンカしてたんだよ。
当時のお金で1試合の使用料が27万円だとか30万円だとか、すごく細かくてな。ヤクルトの神宮の使用料はこれだけとか、1万、2万の違いでやりあってるの。それで、移転のための委員会を俺が作って、うるさい関係者を集めて、毎週いっぺん、昼ご飯を食べながら話し合いをやったんだ」
横浜移転も弱すぎるホエールズに…
そうした藤木氏の舞台裏での努力の甲斐あって、1977年シーズンオフに晴れて大洋の横浜移転が成立。球団名も横浜を冠して「横浜大洋ホエールズ」と改めた。が、この頃のホエールズは弱小球団。毎年、優勝争いどころか、Aクラスにもなかなか手が届かない。
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「あの頃は、(横浜)市長からよく電話がかかってきてさ、『藤木さん、相談があります』と。何かと思ったら、『もうスタジアムへ試合を見に行くたびに負けてる。どうしてあんなに弱いんだ』って、そんなこと俺に聞いてもわからないよ」
とはいえ、自分が横浜に招致した球団をほうっておくこともできない。藤木氏は自らの人脈を駆使して名将の招へいに動く。さらに、“平成の怪物”松坂大輔のドラフトにも関わることになった。(文中一部敬称略)
〈全3回の1回目/2回目につづく〉

