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「ホエールズの横浜移転の面倒を見た」“ハマのドン”94歳が語る驚愕のベイスターズ裏面史「横浜市長が『なんであんなに弱いんだ』って」
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byNumberWeb
posted2025/04/02 11:20
大洋ホエールズの横浜移転、TBSへの球団譲渡とベイスターズの節目節目に常に関わってきた藤木幸夫氏。かつては横浜スタジアム会長も務めていた
「ラミちゃんはこの間も、うちの会社に来てたな。ラミちゃんはいい男だよ。最近はウチの息子(幸太氏)とよく会っているようだね。アイスホッケーの関係もあって。
でも、ラミちゃんが監督やってる時は、俺、よく言ってたんだ。『ラミが監督やってる間、俺は(横浜)スタジアムの試合は見ないからな』って。外国人が監督で日本人が選手なんて、俺は認めないんだよ。そこは、ラミちゃんも『わかりました』って言ってたな」
戦前生まれで日本の敗戦を生々しく記憶している藤木氏にとっては、外国人監督は到底容認できないのだろう。
川崎球場からの移転
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そんな藤木氏と、横浜スタジアムとベイスターズとのつながりは古い。そもそも、昔の横浜公園平和野球場を建て替える際、現在の扇形の球場を建設するよう提案したのが藤木氏だったという。
そして、スタジアムの社長に就任した頃、大洋ホエールズのオーナーで大洋漁業(現マルハニチロ)の社長・中部謙吉が、本拠地球場としていた川崎から横浜に移転したい、と申し入れてきたという。
「当時の川崎球場は狭くて、打球が網(外野ネット)を越えちゃあ、その向こうのアパートの窓ガラスを割っちゃう。そこに俺の運転手が住んでいて、電話で知らせてくれるんだ。『きょうも割れました、今割れました』って(笑)」

