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「決勝当日にボイコット」「ナイフで刺され死去」ブルーザー・ブロディは新日本プロレスの“救世主”だったのか? アントニオ猪木と衝突した経緯
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/03/21 11:00

1985年に新日本プロレスに移籍し、アントニオ猪木との抗争を繰り広げたブルーザー・ブロディ
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プエルトリコのローカル団体で刺殺された最期
ハンセンvsブロディは、当時のプロレスファンの誰もが観たかった超・夢のカード。しかしそれは、実現直前になって永遠に葬られてしまう。
1988年7月16日、ブロディはプエルトリコのWWCというローカル団体に参戦中、同団体のマッチメイカー兼レスラーのホセ・ゴンザレスとトラブルが発生。ドレッシングルームで口論の末、ブロディはゴンザレスに腹部をナイフで刺され、翌17日、出血多量で帰らぬ人となった。42歳という若さだった。
全日本では改心して、おとなしくなっていたブロディだが、海外のローカル団体では、これまでどおり救世主として君臨しながらも、高圧的な態度を取り続けたことでトラブルが絶えず、ついに命を落としてしまったのだ。
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ブロディは晩年のインタビューで「数年後、私と同じような格好をして、同じようなファイトスタイルで闘うレスラーが現われたら、ファンは私のことなど忘れてしまうさ」と答えていた。ブロディの言うとおり、彼の死後、超獣の見た目と闘い方をコピーしたレスラーが何人も現われた。しかし、あれから37年も経ったいまでも、あのインテリジェンス・モンスターの姿は色あせることはない。
プロレスに過剰な使命感を抱き“ブルーザー・ブロディという生き方”を我々に見せてくれた唯一のレスラーを、ファンは決して忘れることはないだろう。
