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「大谷翔平や藤浪晋太郎に抜かれて…劣等感を」中学時代は日本No.1投手だった“消えた天才”、今何している?「もし過去に戻れるなら…」本人の回答
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byAsahi Shimbun
posted2025/02/21 11:03
大谷翔平世代の中学日本代表エース・横塚博亮さんは桐蔭学園に進学した
3年夏、最後の試合…まさかの“事件”
最後の夏、横塚は高校に入ってから初めて背番号1をつけた。ただ、役割はリリーフだった。3人の投手で決勝まで勝ち進んだが、決勝で2年生エースの松井裕樹(パドレス)を擁する桐光学園に4−11で大敗した。
横塚はその試合、5回途中から3人目の投手としてマウンドに上がった。そこまでは1、2点差で競っていたが、8回裏、1アウト一、二塁のピンチで、1ボールになったところで交代を告げられた。
そのあと、大会中、ほとんど登板していなかった2人の投手が後を継いだが大きく乱れ、試合の大勢が決した。横塚は不慣れな下級生に大事な試合を任せたことが許せなかった。
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「みんなまさか(自分が)代えられるとは思ってなかったと思うんです。申し訳ないですけど、悔しいとも思わなかった。怒りしかなかったですね」
中学No.1だった「天才」は今…
高校卒業後は高校野球の指導者になる夢を実現するために、野球推薦で体育学部のある国士舘大に進む。
しかし、プレーヤーとしてのピークはとうに過ぎていた。1年生の冬に現役を断念し、自ら学生コーチに転じた。大学でまた肩を酷使し、自分が指導者になったときにまったくボールを投げられないというのが嫌だったのだ。入部直後、野手に転向し、DHでレギュラーを目指した時期もあったが、打つだけの野球には魅力を感じなかった。
大学卒業後は特別支援学校の非常勤講師などを経て、今はテレフォンアポインターとして働きながら、自分の出身チームでもある小学軟式野球の用賀ベアーズのコーチを務めている。当初の夢だった高校野球の指導者ではないが、十分に満たされているという。
「少年野球の指導者なんで、そこまで拘束されることもない。今、1歳の子どもがいて、練習に参加できないこともあるんですけど融通も利くので」
「大谷と対戦したよ」。野球少年の反応
7年前、横塚はかつて大谷に勝った男としてテレビで紹介されたことがある。過剰に悲劇的な描き方をされている部分もあったものの、こう言って笑う。
「いい餌になるんですよ」
そのテレビを観たことがあるコーチなどが横塚の経歴を自分が言わずとも子どもたちに吹聴してくれるため、少年たちの関心を得やすいのだという。
ただ、こんな「試練」もある。


