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「お前、エラそうにぬかすな!」事件も…落合博満との不仲説、楽天初代監督・田尾安志が真相を明かす「落合に謝りたい」「不仲ではない(笑)」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/19 11:02
2005年3月、オープン戦の試合前に談笑する楽天・田尾安志監督と中日・落合博満監督
「落合は言葉足らずのことが多いから、色々誤解されやすいんですよ。僕も彼を誤解している部分があると思うからね」
一方、落合氏の野球への考えも若干、田尾氏とは異なるようだ。
「落合の中日監督時代は『勝てばいい』という姿勢が強かった。僕はプロ野球はファンあってのものだと思っています。ファンが求めているのはもちろん勝利でもあるけど、それだけじゃない。応援したいチームにすることも大事だと思うので、その部分で落合とはちょっと考え方も違う。ただ、今となっては性格や野球観はそれぞれの個性だと思えるようになりましたから、それで人と喧嘩することはないですよ」
中畑の不快感「落合、なんなんだ…」
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とはいえ、かつて28会メンバーのなかで、落合氏に不快感を抱いた人もいたという。それは日本のプロ野球で初めてFA権が認められた1993年オフに遡る。
「(80年代半ばごろ)28会の中畑清が全体の選手会長で、僕は中日の選手会長だった。それで、みんなでFA制度を認めてもらうために色々と活動していたんですよ。落合にも『お前、同級生だし影響力もあるから協力してくれよ』って言ってたんです。でも、落合はあまり協力してくれなくてね」
落合氏は、FAよりも統一契約書の破棄が最優先事項だと主張していた。そして、1991年落合氏は選手会の方針に異を唱えて脱会する。
「そしたら、ようやくFAが認められた1993年のオフに、落合はいち早く行使して中日から巨人に移籍した。それで中畑をはじめ『なんなんだ』となりましてね。でも後年、中畑と落合の仲は森繁和が取り持ったらしいです」
「お前、100敗するぞ」
森繁和氏といえば、中日での落合政権をコーチとして支えた名参謀である。中畑氏がDeNAの監督時代、森氏は「巨人でも一緒にやってたし、お互い年をとったんだから仲良くしましょう」と落合氏を引き連れ、中畑氏に会いに横浜スタジアムへ向かったのだそう。そこで、ふたりの仲を取り持ったのだ。