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「寮の食事は冷えていて…」青学大で“クビ寸前”だった原晋監督「サポート体制は未熟でした」原チルドレン1期生が語る“弱かった青学大”のリアル 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byTakashi Shimizu

posted2025/01/14 11:00

「寮の食事は冷えていて…」青学大で“クビ寸前”だった原晋監督「サポート体制は未熟でした」原チルドレン1期生が語る“弱かった青学大”のリアル<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

青山学院大学を“箱根駅伝の覇者”へと育てあげた原晋監督。“原チルドレン1期生”のOBが語る黎明期の青学大の実情とは

「焦りがあったんだと思います」原監督の“失敗”

 朝練や門限のある寮生活。当時、監督以外にはコーチもトレーナーもいなかった。「青トレ」に通じる体幹トレーニングもこの頃はまだなく、練習メニューもさほど変わったことをした覚えはない。だが、一つ印象に残っていることがあるという。

「監督はそれまでビジネスマンだったじゃないですか。だからビジネス的な考えをすごく主張されていて、それが新鮮でした。たとえば最初に大きな目標を立てて、そこに至るまでの中目標を立てるとか、目標達成のプロセスを大事にしていた気がします。よく覚えているのが、『お前らは箱根で絶対に優勝できない』って言われたこと。そんなのわかっているけど、言われたら嫌じゃないですか。でも監督は続けて、『オレは10年で箱根で優勝したいんだ。君らの学生生活の4年は、この10年のうちの4年だから、もう3年で予選会を通るくらいじゃないといけないよ』って。優勝に至るまでの道筋を示してくれたおかげで、自分の学生生活の意味を見いだせた気がします」

 先輩たちの中には、わずかではあるが陸上強豪校出身の選手がいた。西脇工高や佐久長聖高の卒業生らを中心に、横田さんたち新戦力を鍛え上げ、箱根の予選会に挑んだ。

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 だが、1年目は上位9校の通過に遠く及ばない16位。2年目も13位と結果を残せなかった。

 そして、横田さんたちが3年生になった頃、ある事件が起きる。その年勧誘した新入部員の大半が、早々に部を辞めたのだ。彼らはタイム重視で獲得した、陸上のエリートたちだった。

「これまでにも色んなところで監督が話されてますけど、あまり素行の良くない学生が来ました。持ちタイムは確かに速いんですけど、生活面での緩さがあって、部の雰囲気は悪くなりましたね。陸上って実力主義だから、『速ければいいんでしょ』って言われると、先輩といえども強くは言えないんですよ。監督も3年契約だったし、最終年度で焦りがあったんだと思います」

【次ページ】 クビ寸前も主将が直談判「原監督ともう1年やりたい」

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