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「暗闇のなか、ひたすら走り続けた」サッカー元日本代表・細貝萌が味わった“地獄”「リハビリで午前3時になることも」「自分との戦いでした」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2024/12/19 17:00

「暗闇のなか、ひたすら走り続けた」サッカー元日本代表・細貝萌が味わった“地獄”「リハビリで午前3時になることも」「自分との戦いでした」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

今シーズン限りで現役引退を表明した細貝萌(38歳)。来季からは所属したザスパ群馬の社長兼GMに就任する

 スライディングでボールを奪いに向かった際、芝に足が引っ掛かって途中交代を余儀なくされ、「左足関節脱臼骨折」で全治6カ月と診断された。ザスパのために、さあこれからというところでの大ケガであった。

「(その時間まで)チームがあまりうまくいってなくて、ここは(流れを変えるためにも)イエロー覚悟で強くいかなきゃと思っていったら、引っ掛かってしまって。だからプレー自体に後悔はなかったです」

 細貝はいつも万全の準備をして臨む。足にテーピングを巻く前にストレッチボードに乗り、青竹を踏むルーティンを欠かさない。それでもケガをしたのだから、気持ちをすぐに切り替えることができる。受傷から2日後に手術を施し、早期復帰を目指していく。

リハビリで午前3時になることも

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 彼のリハビリは、凄まじい。その一言に尽きる。朝6時から約1時間の水素吸入から始まり、午前はリハビリ施設で理学療法を受け、午後はチームでトレーニングのメニューをこなす。実はリハビリの過程でグロインペイン症候群を発症していた。プレートが入った足首は腫れ、可動域が狭くなった分、体のバランスに影響が出て鼠径部に痛みを覚えるようになっていた。夜、東京に出てグロインペインの治療がサイクルに追加され、群馬の自宅に戻ると0時を回ることもしばしば。ナイトゲームの場合は、スタンドで試合を見届けてからクラブハウスに移動して電気治療、アイスバス、超音波治療などを施すため、自宅に戻ると午前3時になることもあったという。睡眠時間を削ってでも、一切の妥協を許さなかった。

「本当に申し訳なかったのは、付き合ってくれたチームのマネージャーがスタッフルームでPCを前に寝ているんですよ。そこからは早めに帰るようにしなきゃって」

 細貝の執念が実り、7月10日のFC町田ゼルビア戦に途中出場してわずか4カ月で復帰を果たす。以降、最終節までずっとスタメンを張ることになるが、ケガとの戦いはずっと続いていた。

「グロインペインのほうは落ち着いていましたが、足首のほうは大変でした。プレートが入っているので折れないとは言われていたので安心はしていました。ただ、痛み止めを飲んで試合に出ても、終わった後は凄く腫れる。その日はアイシングして翌日も治療に充てて、オフ明けのトレーニングも、まだ痛くて途中から別メニューになるパターンが多かったですね」

 痛みと戦いながらシーズンを何とか乗り切った。ただチームは浮上することなく降格圏スレスレの20位。細貝もその責任を感じていた。

 そして次の2023年シーズン、彼に吹きつける風はあまりに強烈だった。

暗闇のなか、ひたすら走り続けた

 開幕から5試合続けて先発出場を果たしたものの、それ以降はベンチに回る。ゴールデンウイークを過ぎてからはベンチからも外れるようになり、出番は一切なくなった。

 地獄だった。

【次ページ】 暗闇のなか、ひたすら走り続けた

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