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「暗闇のなか、ひたすら走り続けた」サッカー元日本代表・細貝萌が味わった“地獄”「リハビリで午前3時になることも」「自分との戦いでした」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2024/12/19 17:00
今シーズン限りで現役引退を表明した細貝萌(38歳)。来季からは所属したザスパ群馬の社長兼GMに就任する
「足を痛めながらも出ていた前年と、23年のシーズン頭のころとどちらのパフォーマンスが良かったかと聞かれたら前年のほうだなって感じます。振り返れば、いろいろな要因はあったかなと思います。本来はこういうプレーをやるべきだろうなと思いながら周りを活かそうと思うあまり、結局自分のところでミスをしてしまったり……。(出られなくなって)何より申し訳なかったのはサポーター。群馬のために帰ってきたと言っておきながら、試合に出られないわけですから」
ピッチに戻るために、細貝は己を追い込んだ。ナイターでのホームゲームの場合、試合後にクラブハウスに向かった。夜10時過ぎに到着してからグラウンド3週、約1000mの距離を10本走った。ライトもつけず、暗闇のなか、音楽を聴きながらひたすら走り続けた。
「これが効果的かとか効率的かと言われたら、分かりません。コンディション的にどうかっていうより自分の精神的な部分と戦っていましたよね。自分との戦いでした」
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試合での負荷がない以上、体に染み込ませなければならなかった。試合の後に、細貝だけの試合が待っていた。プレーする責任をまっとうするために。時計の針が12時を回っても、細貝の姿はグラウンドにあった。
手応えを得ても、チャンスは来ない
2024年シーズンに入っても状況は変わらなかった。外から見れば“干された”状況と言ってもおかしくはない。ただ、誰からも説明はなかった。普通ならサジを投げてもおかしくない状況。それでも細貝はピッチに戻ることを信じて、コンディションをつくった。
「コンディションが凄くいいなって感じる時期も当然あります。プレーする感覚もいいし、これなら試合で貢献できるって手応えを得ても、チャンスは来ない。そのときが一番つらかったなとは思います」
彼は恩師ヨス・ルフカイが去ったヘルタ・ベルリン時代に“飼い殺し状態”にされ、ストレス性発疹で入院したことがある。ストレスと極限まで戦うと、その信号が発疹となってあらわれる。ザスパでも赤い斑点が広がる自分の手を眺めながら、いつか必ずピッチに戻ると言い聞かせてきた。
群馬に帰ってきて良かった
大槻毅監督が契約解除となり武藤覚コーチが昇格すると、5月26日のブラウブリッツ秋田戦で今季初めてベンチ入りを果たす。そして7月7日の愛媛FC戦、続く13日の鹿児島ユナイテッド戦において終盤での起用ながら2試合続けて出場を果たした。細貝のせめてもの意地だった。ザスパは今季、3勝9分け26敗の勝ち点24にとどまり、最下位でJ3降格が決定した。勝利した3試合のうち2試合は細貝がベンチ入りし、終盤とはいえ出場している。彼がベンチ入りした試合は2勝2分け3敗。存在感を含めてチームの力になっていたことは明らかであった。
強くて冷たい風を一身に受けても、細貝は屈しなかった。
徳島戦の後のスピーチで、涙をこらえながら彼はサポーターを前に言った。
<本当に群馬に帰ってきて良かったと思っています>
スタンドから大きな、大きな拍手が彼に降り注ぐ。上州の夜風がどこか優しく細貝萌の頬を撫でていた。
<続く>