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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「お前、トレードって出てるぞ」“度会トレード”報道に先輩選手が猛抗議…ヤクルトを支えた「日本一のムードメーカー」DeNA度会隆輝の父の“愛され伝説”
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS / SANKEI SHIMBUN
posted2024/12/18 11:03
DeNA度会隆輝と現役時代の父・度会博文さん(右)
2001年に加入したアレックス・ラミレス(元DeNA監督)の代名詞となった「アイーン」のポーズを“仕込んだ”のも度会さんだ。明るく前向きな脇役の存在はチームの大きな戦力となり、ヤクルトは日本一となった01年から4年連続Aクラスと盤石の強さを誇った。
突然の「トレード報道」に…
しかし、そんな“日本一のムードメーカー”に突然のトレード報道が降って湧いた。03年5月19日、スポーツ紙がダイエー(現ソフトバンク)の左腕・篠原貴行との交換トレードの可能性を報じた。
「朝起きたら『トレードって出てるぞ』と色々な人から連絡をもらってビックリしましたね。前の年に次男(隆輝)が生まれたばかりだったので、家族とはみんなで福岡に行こうか、どうしようか、という話もして……。結局トレードはなかったですけど、交換相手と報じられた篠原投手は今DeNAのスカウトをやっていて、隆輝が入団する時に挨拶をしたんですよ。不思議な縁ですよね」
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実はこの時、チームの中にはトレード報道に激怒して「度会流出は絶対に止めたる!」と声をあげた選手たちも多かったという。結局、移籍話は誤報だったが、“日本一のムードメーカー”がどれだけ愛されていたか分かる出来事でもあった。
引退セレモニーで隆輝が号泣した理由
そんな度会さんが引退を決断をしたのは2008年。夏の終わり頃に真中満(元ヤクルト監督)とともに編成担当に呼ばれて意向を聞かれた。他球団で現役続行する考えもよぎったが、最終的には愛するスワローズでユニフォームを脱ぐことを決めた。
「素晴らしい方たちと沢山出会えて、本当にいい野球人生だったと思います。とにかくクビにならないようにと最初は必死でしたが、そこから15年も現役でやれたなんて......本当に幸せだと思っています」
プロ15年間で通算527試合に出場。チームに欠かせないユーティリティープレーヤーであり、「日本一のムードメーカー」のポジションを極めた男の引退試合は10月12日の横浜戦だった。セレモニーの始球式では、投手役を長男、捕手役を当時6歳の隆輝がつとめた。
「兄貴の方はずっと大泣きしていました。ふと見たら隆輝も泣いていたんですが、よくよく聞いてみると、上から降ってきた紙テープで指を切って、その痛みで泣いていたみたい(笑)」
「目標は親父です」の言葉に
その少年が15年後、DeNAからドラフト1位指名を受けて父子二代でプロ野球選手になった。今季の開幕戦ではいきなり3ランホームラン。続く2戦目でもアーチをかけ、4月26日の巨人戦では満塁ホームランを放つなど記録尽くしのプロデビューを果たした。