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「とんでもない天才がいる」北海道“ナゾの公立校”が『高校生クイズ』のダークホース? 伊沢拓司の開成高が優勝…クイズ史に残る「神回」ウラ話
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byShiro Miyake
posted2024/12/12 11:00
後の“クイズ王”伊沢拓司の原点になった2010年の「高校生クイズ」。ダークホースとなったのは“神童”塩越希(右)と重綱孝祐のいる旭川東高校だった
実は塩越にとっても、母校の全国制覇は少年時代の心に強く記憶されていた。
当時10歳だった塩越は、テレビの中で駆けまわる高校生たちの姿に夢中になった。北海道で生まれ育った塩越にとって、普段のテレビ番組は自分の日常とは「別世界」の話だった。だが、この時見ていた『高校生クイズ』で目にしたのは、地元・旭川東高校の生徒たちの躍進だった。「知力・体力・チームワーク」をキーワードに、遠くオーストラリアを舞台にした決勝で、近所の高校生たちが優勝まで成し遂げたのだ。
「いつか自分もこういう舞台に出てみたい」
小学4年生だった塩越少年の心には、おぼろげながらそんな小さな火が灯っていたのだ。
「自分たちも1回くらいは全国大会に出られたらいいね」
仲良くなるにつれ、塩越と重綱は、そんな話もするようになっていった。軽音部だったはずの重綱も、いつの間にかクイ研の活動の方に力を入れるようになっていた。当時、北海道ではまともに活動しているクイ研はほとんどない時代だ。決して「精力的に活動していた」とは言えない旭川東でも、道内では十分、強豪校だった。
ところが、である。
高校に入学して最初の夏。そんな重綱と塩越の「全国に出られたらいいね」程度の熱量を、激変させる出来事が起きることになる。
2008年の『高校生クイズ』に起こった“異変”
2008年の夏、第28回の『高校生クイズ』。
塩越と重綱にとって初となった憧れの大会は、早々に北海道予選序盤の〇✕クイズで敗退となった。残念さ半分、「まぁ1年生だし、そりゃそうだろう」という諦観半分で、2人は後日、テレビで放送された全国大会の様子をぼんやりと眺めていた。
そこで、ふと違和感に気づいた。
おかしい。これは、自分たちが知っている『高校生クイズ』ではない。
出題されるのは、普段の部活動では聞いたこともないような超難問ばかり。それを、どういうワケか自分たちと同じ高校生が、問題文も読み終わらぬうちから答えている。
「なんだ、コレ?」
塩越は当時をこう振り返る。
「こんなの、どうやったら分かるんだよ……と。そこですごく強い衝撃を受けたんです」
実はこの年から同大会は、いわゆる「知の甲子園」と呼ばれる難問路線に舵を切った。
日テレの名物プロデューサーである五味一男の発案で、それまで良くも悪くも「知力・体力・時の運」と言われた日テレ系クイズ番組にお馴染みだった世界観から「運」や「バラエティ」の要素を極力、取り除いた。結果的に、そこにはスポーツと見紛うような知力におけるガチンコバトルが残っていた。
「こんなの自分たちの憧れていた『高校生クイズ』じゃない――」
突然の路線変更である。憧れの舞台のテイストがガラッと変わってしまったのだ。当然、マイナスの感情を抱いてもおかしくはなかったはずだ。だが、幸か不幸か、塩越はそうは思わなかった。