プロ野球PRESSBACK NUMBER
「日本のファンが私を忘れずにいてくれた」プレミア12で日本を破り号泣…元ロッテの台湾代表左腕が歩んだ道「通訳なしで奮闘」「涙を流し帰国」
text by

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byNanae Suzuki
posted2024/12/09 11:01
台湾代表の劇的な優勝に貢献した元ロッテ左腕のチェン
「チェンチェン大丈夫」秘話
東京ドームで行われたスーパーラウンドでは、スタンドにマリーンズ時代のチェンのタオルを掲げているファンの姿が多く見られた。タオルには「チェンチェン大丈夫」とプリントされている。いい時もあるけど、人生は悪い時、思い通りにいかない時の方が多い。でも、そんな時も「チェンチェン大丈夫!」と笑っていよう。そうすればきっといつかいい事が起こるはず。あまり知られてはいないが、このキャッチフレーズにはテスト生からマリーンズに入団した際のチェンのそのような想いが込められている。
「皆さんが応援タオルを持って応援してくれて、本当に嬉しかった。“チェンチェン大丈夫”のタオルを見た瞬間、本当に力が湧いてきて、好投できました。皆さんの力のおかげで素晴らしい思い出ができました。本当に感謝しています」
テスト生から這い上がった左腕
日本での野球生活は決して順風満帆ではなかった。むしろ困難の連続だった。
ADVERTISEMENT
11年にベイスターズに入団。しかし翌年8月にトミー・ジョン手術を受け、シーズンを棒に振った。そして14年オフに戦力外。一軍ではわずか1試合の登板にとどまり、その年にマリーンズのテストを受けた。11月、鴨川で行われていた秋季練習にテスト生として合流。必死に投げる姿、一心不乱の思いが通じての合格だった。
マリーンズ時代のチェンはこう語っている。
「横浜の時の私は自分に自信がなかった。自分のボールを信じられなかった。でもマリーンズに拾ってもらって、監督、コーチ、仲間たちにいろいろとアドバイスをもらったり、励ましてもらって、少しずつ自分に自信を持てるようになった。自分の持ち味がテンポであることも知った。だからマリーンズが大好き」
大切にしていた「漢字」
異国での競争の日々で大事にしている漢字があった。「心」。どんな時も気持ちが大事だと日本で教えられた。ピッチングでも攻める気持ちが大切となる。どんな苦境でも諦めない想いが時に奇跡を呼ぶ。だから、いつも「心」を研ぎ澄ませ、マウンドに上がった。自分自身の心と向き合い、悔いなきボールを投げることを自分への約束にしていた。
毎年のようにメジャーリーグで登板経験のある実績十分な外国人投手がマリーンズに加わり、外国人枠を争う日々だったが臆することはなかった。自分を信じ、気が付けば一軍のブルペンにいた。
時にはチームメイトもアドバイスをしてくれた。チェンは振り返る。
「当時マリーンズでは多くの先輩が私を指導してくれました。例えば、現在の二軍コーチである松永昂大さんは『投げる前に冷静に深呼吸して自分のベストを発揮するよう意識しろ』とアドバイスしてくれました。また、当時のコーチ陣も一軍の試合で多くの機会を与えてくれ、経験を積むことができました。すべての先輩やチームメートは私を外国人としてではなく、家族のように接してくれたことに本当に感動しました。マリーンズがなければ今の私はありません。マリーンズでの経験を一生の宝物として大切にしています」
通訳をつけずに…
チェンには通訳がいなかった。戦力外からテスト入団をした身で、当時から片言ではあるが日本語を話せたこともあって、自力でコミュニケーションをとることを大事にした。一生懸命に日本語を学び、自らの口で話し、自らの耳で聞き、理解することを選んだ。
時には日本語を間違えたりすることもあったが、それもまた愛嬌として映った。ある時、小学校訪問で子供たちに「好きな果物は何ですか?」と聞かれ、「カレーよ!」と即答したこともあった。ある時は、ロッカーに大量の差し入れを持参してテーブル所狭しとばかり並べ、嬉しそうに呼びかけた。「さあ、遠慮してね!」。一瞬、時が止まったが、「それを言うなら『遠慮しないでね』だよ」とみんなでツッコミを入れると「日本語、難しいよ」と頭をかいた。そうやって必死にコミュニケーションをとっていた。




