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大谷翔平でも藤浪晋太郎でもない…元阪神・北條史也30歳が驚いた“大谷世代の天才”「小学生で160cm…スゴ過ぎた」恩師も証言「あの坂本勇人より上だった」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byGetty Images
posted2024/12/08 11:00

2012年の高校日本代表で、北條史也は大谷翔平、藤浪晋太郎らとチームメイトになった
「そのとき、大谷は変化球のコントロールがばらばらやって。1番バッターのやつにデットボールを当てた記憶がある。変化球と真っ直ぐの軌道がぜんぜん違うので、投げた瞬間に『変化球や』って(バットを)止めることができた。いいところにくるのはほぼ真っ直ぐなので、1、2、3でいける。多少速いですけど、きれいな真っ直ぐやったイメージがあります」
プロ以前の投手・大谷は好不調の波が激しく、その日の調子によって、対戦相手が抱く印象がぜんぜん違った。
ただ、高校時代から打者・大谷の印象は一貫している。北條に打者としての大谷には感嘆することもあったのかと問うと「もう、何回も」と答えた。
「高校のときは、ツンツンしてたので」
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北條が未だに忘れられないと語った2つの弾道がある。1つは2年秋、秋田県最大の野球場であるこまちスタジアムで開催された東北大会の準決勝だった。9-8の1点リードで迎えた最終回、大谷がとらえた打球はホームベースから100メートルの地点に立てられた黄色いポールのはるか上を通過していった。結果はファウルだったが、その打球をみて、光星学院バッテリーは敬遠を選択。何とか逃げ切ったのだった。
北條は相変わらずさほど表情を大きく変えずに話す。
「あれはえげつなかったですね。ライトポールの、もう上を越えちゃったので。僕はショートから見てたんですけど、『あっ』って思って。上過ぎて(ファウルかフェアか)判断できなかった。たぶん、場外だったと思います」
もう1つは、北條が光星学院のグラウンドでセンター越えの長打を放った日のものである。光星学院のグラウンドも広くて有名なのだが、大谷は反対方向へ流し打ち、左中間フェンスの奥にあるネットを揺らしたのだ。
静かな口調だったが、そのときに北條が受けた衝撃が伝わってくる。
「光星のグラウンドで左バッターの、左中間のホームランって見たことなかった。しかもフルスイングっていう感じじゃなくて、アウトコースの高めのスライダーをポーンって打ったら、そのまま入っちゃったので。今とは違って、ほんまに遅いというか、ゆっくり振ってる感じで。それもめっちゃ覚えています」
それだけ認めていたのならば、せっかくの機会に「ガキっぽく見えた」大谷の皮を一枚はぐつもりでバッティングのことを聞いてもよさそうなものだが、北條にはそれができなかった。
「高校のときは、ツンツンしてたので。自信もまあまあ(ある)みたいな感じで。人から聞いて学ぼうっていう頭がなかったです。今思えば、なんかいろいろと聞いとけばよかったなみたいなのは思いますね」
人の意見に耳を傾けてみる。それを試みなかったことを北條はのちの野球人生でも悔やむことになる。