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セで異常事態「3割バッター消滅危機」近本光司・中野拓夢・佐藤輝明の首位打者争いは「.290台ギリギリの低打率」背景の“2大要因”とは

posted2025/08/12 17:01

 
セで異常事態「3割バッター消滅危機」近本光司・中野拓夢・佐藤輝明の首位打者争いは「.290台ギリギリの低打率」背景の“2大要因”とは<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

現時点で首位打者の阪神の近本光司。ただ打率は同僚の中野拓夢、佐藤輝明とともに.290台前後である

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Kiichi Matsumoto

 セ・リーグで「3割打者消滅の危機」にあることは過去に紹介したが、今季のセ・リーグは極端な「投高打低」が進行している。いくつかの指標で、あらためてそれを検証していこう。

「2割台で首位打者」は戦時中しかなかった

【3割打者消滅の可能性】
〈首位打者の最低打率5傑〉
1942年/呉波(巨人)
.28648(370打106安)
1943年/呉昌征(巨人)
.29966(297打89安)
1948年/青田昇(巨人)
.30580(569打174安)
2023年/頓宮裕真(オリックス)
.30673(401打123安)
1962年/森永勝治(広島)
.30672(476打146安)

 NPBの歴史で唯一の「2割台の首位打者」は、1942年、巨人の呉波が記録した.286。続いて翌年、昌征と改名した呉が記録した.29966、四捨五入しての3割だった。

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 呉は映画「KANO」で有名な台湾嘉義農林出身の台湾人。巨人に入り、外野手として活躍。戦後は阪神で投手としても活躍している。前年12月に太平洋戦争が始まった1942年は戦時体制に入り、物資も窮乏しつつあった。使い古しのボールを試合で使用していたこともありボールは飛ばず、極端な投高だった。打率.250以上は4人しかいなかった。

今季のセは「.290」すらギリギリ

 80年以上も前の「窮乏時代」に肩を並べようとしている今年のセ・リーグは明らかに異常事態と言える。1950年の2リーグ分立以降、3割打者数最少は「1人」で、過去5例ある。

1959年セ 長嶋茂雄(巨人)
.334(449打150安)
1962年セ 森永勝治(広島)
.307(476打146安)
1970年セ 王貞治(巨人)
.325(425打138安)
1971年セ 長嶋茂雄(巨人)
.320(485打155安)
2024年パ 近藤健介(ソフトバンク)
.314 (436打137安)

 ギリギリ3割クリアは62年の広島・森永だけで、あとの4例は2位以下を引き離したダントツの首位打者だった。今年物故した長嶋茂雄の名前が2回。改めて長嶋が当時のセ・リーグにあって、いかに傑出していたかを思い知る数字だ。

〈今季のセ・リーグ打率5傑〉 ※8月11日終了時点
近本光司(神).291(436打127安)
中野拓夢(神).290(386打112安)
佐藤輝明(神).289(398打115安)
小園海斗(広).286(381打109安)
佐野恵太(デ).279(384打107安)

【次ページ】 なぜセ打者が低調なのか…見逃せない2大要因

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