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「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2024/11/07 11:04
アジャコングの特大写真とともにポーズをとる井上晴哉
4番で起用してもらったのに結果を出すことができなかった自分のせいで負けたと気持ちは落ちた。そんな、ふさぎ込みそうになった時に声をかけてくれた先輩がいた。
「落ち込んでいる時に井口さんから『開幕は誰でも緊張する。オレも緊張したよ』と話しかけてもらった。え、そうなの?と思った。あれがあったから、その後は緊張した場面でも誰でも緊張していると思えるようになった。打っている自分もそうだし、投げている投手もそう。守っている野手もそう。それが分かったから落ち着けていけるようになった」
辛い思い出はその後の活躍のキッカケとなった。一軍で601試合に出場して76本塁打、313打点、486安打。原点は開幕カードで味わった悔しさだった。
大谷翔平との対戦
もう一つ、忘れられないのが2016年3月25日、本拠地であるQVCマリンフィールド(当時)でファイターズを迎えて行われた開幕戦である。相手先発は現在はドジャースで活躍をする大谷翔平。前年の15年は15勝5敗で防御率2.24。日本を代表する押しも押されもせぬエース投手としてマウンドに立ちはだかった。
井上は開幕を6番ファーストで迎えていた。午後6時30分試合開始のナイターで、まだ夜は肌寒い時期。プロ3年目となった井上はもう、過度に緊張することはなかった。寒さも気にならなかった。すべて条件は一緒。相手も同じ気持ちだと考えた。
初回、相手の攻撃を無失点に切り抜けると、その裏、4番のアルフレド・デスパイネの中前適時打で1点を先制。さらにチャンスは広がり2死一、二塁で井上の打席を迎えた。ルーキーイヤーの開幕戦と同じく1点を先制してなおチャンスという場面だった。今度は戸惑いも、迷いもなかった。フォークを捉えると打球はレフト線を抜ける二塁打となった。
「たまたま当たったけど、思いっきり振れたのがよかった。1年目の経験があったから打てた一打。誰もが緊張していると思ったから。今でも忘れられないくらい嬉しかった。なにも出来なかった1年目の悔しさが生きた」
井上は当時を振り返り、目を輝かせる。
覚醒のとき
2018年には覚醒の時を迎える。133試合に出場し24本塁打、99打点。翌19年は129試合に出場して24本塁打、65打点。球団の日本人選手では、初芝清氏以来となる2年連続20本塁打以上を達成した(初芝氏は98年から00年の3年連続)。
しかし、その後に待っていたのは故障の日々。
「手首を手術してから感覚がずれてしまったのは間違いない。あと膝。今まで膝を痛くしたことなんて一度もなかったのに、膝が痛くなった。定期的に注射を打って試合に出ないとダメな状態だった」