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「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」 

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梶原紀章(千葉ロッテ広報)

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara

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photograph byChiba Lotte Marines

posted2024/11/07 11:04

「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」<Number Web> photograph by Chiba Lotte Marines

アジャコングの特大写真とともにポーズをとる井上晴哉

「アジャさんと再会したかった」

 現役を引退する時の唯一の心残りとして井上は「テレビ局ではなく、グラウンドでアジャさんと再会したかった。アジャさんが投げて、ボクがボールをとりたかった」と語ったほどだ。ただ、19年に初めて会った際は井上が大好きだったタレントの小倉優子さんもテレビ局の計らいでスタジオにゲスト出演。アジャコングからは「てめえ、私と会った時よりも嬉しそうな顔しているじゃねえか!」と強烈なパンチ(ツッコミ)を受けたことが懐かしく思い出される。

 井上にとって「アジャ」の愛称と同時にメディアからいつも注目を集めていたのは体重である。入団時は115kg。NPB日本人選手としては最重量と話題となった。「ほっといてくれ。そんなに騒がないで、と思った時もあった」と言う。それでも井上の優しい性格は質問を拒むことはなかった。

「自分で、この体重でしっかりと動けている自負があったというのもある。なによりもマスコミの人が体重の質問をする時にいつも楽しそうだったので、応えないといけないと思う部分があった。自分からも思わず話をしていた」と笑う。

辿り着いた「ベスト体重」は…

 メディアの要望に応じたリップサービスを欠かさない選手だった。一時はパワーアップを目的に筋トレを行い、体重は120kgを超えたこともあったが「あの時は全然、動けなかった。ああ、人にはベスト体重があるんだと。ここは自分のベスト体重ではないと悟った」。引退した今は116kg。結局、ベスト体重は115kgから117kgの間ぐらいだったという。

 振り返れば、プロ1年目は鮮烈なデビューだった。最重量ルーキーとしてそのキャラクターが注目を集めたなか、2月16日に石垣島で行われたバファローズとのオープン戦で3安打。以降も毎試合のようにヒットを記録し、開幕前の最後の試合となった3月23日のスワローズ戦(神宮)では3安打猛打賞、1本塁打と最高の形で締めくくった。結局、オープン戦15試合で打率.435、2本塁打、7打点。話題性だけではなくそのバットも注目を集める形で1年目のシーズンに突入し、3月28日のホークスとの開幕戦、当時ヤフオクドームでその名はスタメンの「4番」にあった。

「4番デビュー」の重圧

「4番になるとは思っていなかった。多分、開幕前日練習で言われた。まだ開幕前のたかだが練習日なのにめちゃくちゃ緊張していて、なにも覚えていない。初めてプレーをする球場。オープン戦でもやっていない場所だったので。オープン戦でも4番だったけど、まさかと思った」

 当時、指揮を執っていた伊東勤監督に伝えられても、スタメン表を自分の目で見るまでは信じられなかった。開幕戦当日、「4番指名打者・井上」の文字をその目で見た。3番は井口(資仁)。チームの看板選手の後にドラフト5位ルーキーが名を連ねた。その衝撃は想像を絶するものだ。

 自分が自分ではないような緊張感に襲われた。プロ1打席目は初回、いきなりチャンスで巡ってくる。大先輩の井口が左越え二塁打で1点を先制してなお1死二塁のチャンス。重圧のかかる酷な場面だった。

「やべえ。これはなんとしても打たないといけないと思って力んだ。今思うと、それが負の連鎖の始まりだった」

声をかけてくれた大先輩

 結果は三ゴロ。この試合、4打数ノーヒットに終わると翌日も4番DHで3打数無安打。3試合目にスタメンから名前が消えた。チームも開幕3連敗を喫した。

【次ページ】 大谷翔平との対戦

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