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プロ野球PRESSBACK NUMBER
日本ハム・清宮幸太郎の“覚醒”は「性格の良さあってこそ」恩師・荒木大輔氏が語る苦悩の日々と成長「村上宗隆と比較されても自分は自分と…」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/10/19 11:04
ファイターズファンのみならず野球ファンの多くがその“覚醒”を待っていた
「友情を感じる場面がめっちゃ好き」
並外れた能力の高さで小学生時代から注目を集めていたが、当時から独りよがりなスラッガーではなく明るいリーダータイプ。早実ではキャプテンを務めてチームをまとめた。昨秋のNumber Webのインタビューでは、幼少期にプレーし、今も大好きなラグビーについて「僕、ラグビーの好きなところは、みんなが抱き合って喜んでいるところなんです。(中略)絆というか、友情を感じる場面がめっちゃ好き」と熱く語っていた。
「元々キャプテンシーを持っている子なんです。明るいし、熱いしね。入団してきた後、編成やスカウトが集まって育成方針を話し合うミーティングではいつも、将来的にチームを引っ張れる選手になるだろうという話をしていました。プロ入り後もチャラチャラしたり、自分を見失うようなところは全くなかった。
早実時代から持っている彼の良さを、ここに来て伸び伸び発揮できるようになったということでしょう。自分のポジションを確立して気持ちの余裕ができたということもあるし、技術的にも新庄監督が色々な打順で起用する中で繋ぎのバッティング、チャンスメイクなど色々なことができるようになったのだと思います」
プロの壁、怪我…苦悩の時期
荒木氏が二軍監督を務めた3年間は、まさに清宮の駆け出しの時期だった。大きな期待と注目を集めて入団しながら、プロの壁にぶつかり、怪我も重なってなかなかブレークできない。明るく振る舞いながらも、もがき苦しむ姿を見守ってきた。
「最初は練習の流れをこなすのにも戸惑ってバタバタしていましたね。やらなければいけないことに精一杯という感じで、自分のバッティングというものをなかなか確立できなかった。もちろん、焦りもあったと思います」
この時期、同学年のヤクルト・村上宗隆はプロ2年目で大ブレーク。高卒ルーキーとして数々の最年少記録を塗り替え、一軍で全試合に出場し、36本塁打、96打点という驚異的な成績を残している。「清宮世代」はいつの間にか「村上世代」に。後に史上最年少の三冠王となるスラッガーと比較されることも多かったが、清宮は腐らなかった。
村上宗隆と比較されても…
「最近でこそ言われなくなりましたけど、あの頃、日本を代表するバッターと比較されるのは大変だったと思います。高校時代の印象が強い分、過去の自分に囚われて苦しんでしまう選手も多い。でもそこで頑張れたのは彼の性格の良さがあってこそだと思う。
いい意味で“のんびり屋”で、人と比較したり羨んだりせず、自分の芯をしっかり持っている。周りにどう見られても自分は自分、とマイペースを貫けたのも良かったのだと思います。ただこれで安心というわけではなく、この先2年、3年と結果を残し続けなければいけないですけどね」