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大谷翔平が発言「人生最高の試合」たった1人、大谷からタイムリーを打った男の“その後”「仙台育英で3年間ベンチ」「大学野球部をわずか3カ月で退部していた」

posted2024/09/29 11:03

 
大谷翔平が発言「人生最高の試合」たった1人、大谷からタイムリーを打った男の“その後”「仙台育英で3年間ベンチ」「大学野球部をわずか3カ月で退部していた」<Number Web>

大谷翔平「人生最高の試合」でただ1人タイムリーヒットを打った笹川裕二郎さん(仙台育英高時代)

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中村計

中村計Kei Nakamura

PROFILE

大谷翔平がかつて「人生一番の試合」と語ったゲームがある。中学1年の夏、12歳のピッチャー大谷は全18アウト中17奪三振というとんでもない記録を残す。
その試合の対戦相手で、ただ1人タイムリーヒットを放った笹川裕二郎さんの“その後”。一般受験で仙台育英高に入り、なぜ大学野球部を3カ月で退部したのか? 30歳になる大谷翔平世代の今。【全2回の後編/前編も公開中】

◆◆◆

――笹川さんは地元・福島の信夫中で軟式野球をやったあと、仙台育英に進んでいます。当時の仙台育英は中学生をほとんど勧誘しなかったそうですが、どういう経緯だったのですか。

笹川裕二郎さん(以下、笹川) もともとは中学のチームメイト4人と地元の進学校、福島高校に進もうと思っていたんです。公立で甲子園へ行こうぜ、みたいなノリで。周りには聖光学院に行く同級生もいたんですけど、私たちはアンチ聖光学院だったんです。勉強も部活も両方やりたかった。あと、聖光学院の精神主義的な野球も馴染めないだろうなと思ってたんです。

――向き不向きはありますよね。

笹川 でも高校に入ってから戦う相手として聖光学院を見たとき、尊敬の眼差しに変わりましたね。あそこまで野球に熱くなれるって、何なんだろう、と。うちはよくも悪くも緩かったので。

「一般受験で仙台育英野球部に入った」

――福島高校の滑り止めとして仙台育英を受けたわけですか。

笹川 いや、実は、福島高校を受験した仲間の中で僕だけ落ちちゃったんですけど、もう福島高校に行く気満々だったので、滑り止めも受けていなくて。そこからまだ募集している高校を探し始めたんです。勉強での受験がダメだった時点で、じゃあ、野球の強いところに行くかと思ったんですけど、聖光学院は嫌なので県外に行くしかない。最終的に仙台育英と東北高校と花巻東に絞りました。3校の募集要項を見たら、仙台育英の募集要項がいちばんわかりやすかったんです。何月何日にどこでどういう試験をしますというのが一目瞭然で。それで仙台育英に決めたんです。ほんと、それが動機のほぼすべてでした。

――一般受験で野球部に入ったわけですね。そういう選手もいるものなのですか。

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