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大谷翔平に4年ぶりのLINE「久しぶり、覚えてる?」その返事とは? 高校日本代表の同僚・大谷に“ある相談”、岡野祐一郎が中日のドラフト指名を受けるまで
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNanae Suzuki
posted2024/09/21 11:04
1994年度生まれの大谷翔平世代で、中学時代は補欠だった男はなぜプロ野球選手になれたのか
「みんなに不思議に思われていたんです。3年生はほとんど帰省していたので。大学のセレクションを受ける人たちは残って練習していたんですけど、僕はもう春には青学(青山学院大)に決まっていましたし。『お前、なんでいるの?』って」
そんな他愛もないことを覚えているあたりに岡野の当時の喜びが滲んでいるように感じられた。
この年、高校日本代表の監督は日大三を率いる小倉全由が務めていた。甲子園の初戦で日大三は岡野にわずか4安打に抑え込まれた。そのときの鮮烈な印象が選考にも影響したようだ。
高校日本代表は全部で20人だ。そのうち投手は7人である。もちろん春夏連覇の立役者である大阪桐蔭の藤浪晋太郎や、大谷翔平も名を連ねていた。中学時代、試合にほとんど出られず、地元の公務員を目指していた岡野がついに同世代のトップ7に入ったのだ。
「(高校入学時は)こんなんなるとは思ってなかった。今思えば(母親も)騙した甲斐がありましたよね」
大谷とチームメイトに…「最初の会話」
最初の代表合宿で大谷と顔を合わせた岡野の中には、こんな会話をした記憶がある。
「うっすらとですけど『東北で選ばれてるの、俺と岡野しかいなくね?』みたいな」
春夏と2季連続で全国準優勝した青森代表の光星学院からは田村龍弘、北條史也、城間竜平と3人も選ばれていたがいずれのメンバーも出身は大阪だった。
また、春夏連覇を達成した大阪桐蔭からは最多となる4名が選ばれるなど全体的に関西エリアの選手が多く、岡野はなかなかチームに馴染めなかったという。
「関西勢と、それ以外の選手で分かれちゃっている感じがあって、居場所に困るというか。なんだったら、早く帰りたいなと思ってたぐらいで」
唯一の同郷人といってもいい大谷も岡野の目には関西勢のグループに属しているように映っていた。