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「コイツは何者だ?」“無名の天才ピッチャー”に聖光学院部長が絶句した…「特待生、決まったよ」母親のウソから始まった岡野祐一郎(元中日)の逆転人生
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2024/09/21 11:03
中学時代は補欠、聖光学院でエースになった岡野祐一郎
2年秋、聖光学院はまずは福島大会を制した。岡野は準々決勝の光南戦は83球、決勝の学法福島戦は81球で完投するという超省エネ投球を披露する。精密機械のようなコントロールを持つ岡野だからこそ可能な芸当だった。
続く東北大会は2回戦から決勝まで4試合連続完投。決勝は光星学院に1−3で惜敗するも、東北に2枠与えられる選抜大会への出場権をほぼ手中に収めた。
この秋、岡野は県大会から通じて全9試合に先発し、59イニングを投げた。防御率はじつに0.15である。つまり、7試合に登板し、ようやく1点を失うというレベルだ。
「自分もやれるというか、いけると思っちゃってましたね」
万事控えめな岡野がこう言うのだから、この時期の岡野は自信の塊だったと表現しても差し支えはない。
甲子園出場、東北王者…岡野の逆襲
球速は137キロまで上がっていた。球速アップの裏には、こんなエピソードが隠されている。2年夏、岡野は5年連続で甲子園出場を決めたチームの練習要員として関西遠征に同行していた。しかし練習会場に割り当てられたグラウンドの凸凹がひどく、左足首を捻挫してしまう。その頃、福島では居残り組が1日中、練習に励んでいた。大阪にいれば1日の練習時間は2時間ほどだ。何としてでも大阪に残りたかった岡野はテーピングでがっちり足首を固定し、打撃投手を務めた。
「踏み出す方の足をケガしてしまったので、足の付き方が優しくなった。そうしたらフォームがはまって、球速がボンって一気に上がったんです。理論的なことはわからないんですけど力を入れるところと抜くところのメリハリが付けられるようになったんだと思います」
藤浪晋太郎の大阪桐蔭と大谷の花巻東が1回戦でぶつかり話題となった3年春の選抜大会、岡野は1回戦で鳥羽高校(京都)を相手に2−0で完封勝利をあげる。しかし、2回戦の横浜高校との試合は1−7で完敗。それでも岡野の季節はまだ終わらない。続く春の東北大会では、選抜準優勝校の光星学院を準決勝で下し、決勝では宮城の雄、仙台育英を8−6で破り東北王者となった。
岡野は少しだけ誇らしげに言った。
「仙台育英の最後のバッター、星(隼人)だったんですよ。それで内野ゴロに抑えたのは記憶にあります。やっと対戦できたな、って」
このときばかりは「星」と呼びすてにした。中学時代、あれほど遠くに見えた旧友の背中が、もう手が届くところにあった。〈つづく〉