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「コイツは何者だ?」“無名の天才ピッチャー”に聖光学院部長が絶句した…「特待生、決まったよ」母親のウソから始まった岡野祐一郎(元中日)の逆転人生
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2024/09/21 11:03
中学時代は補欠、聖光学院でエースになった岡野祐一郎
「あいつは神様がいるから。指先に」
それくらいコントロールが抜群だという意味だった。
ただし、大崩れしない投手として貴重な戦力となった岡野だが、その時点で先輩たちを押しのけるほどの圧倒的な力を持っていたわけではない。1学年上にはスプリットという魔球を繰るスーパーエース、歳内宏明(元阪神ほか)もいた。とはいえ、中学時代のスタートと比べたら雲泥の差だった。
「特待決まったよ」は母の嘘だった
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岡野が母親の嘘に気づいたのは1年の冬だった。その間、自分が特待であることを一度も疑ったことはなかったという。岡野の表情が柔らかくなる。
「特待の選手が集められたことがあったんです。なのに、俺、呼ばれてないな、って。それで親に確認したら『ずっと嘘ついてるのもあれだから……』と教えてくれたんです。『特待は嘘だった』って。何それ? って思っちゃいました。授業料とか免除されてんのかなと勝手に思っていたんですけど、全額払っていたんです。ただ、もう入っちゃってたんで、がんばるしかないという感じでしたね」
家の経済的な理由で、聖光で野球をやるという自分の夢をあきらめないで欲しい。その思いが母親に嘘をつかせたのだった。
同学年・大谷と対戦した日
東北エリアは各県ともに強いチームの戦力が頭ふたつ分くらい抜けている。青森なら光星学院(現・八戸学院光星)と青森山田がそうだし、宮城なら仙台育英と東北の2強が突出している。岩手は花巻東と盛大附属が双璧と言っていいだろう。したがって、レベルが近いそのあたりのチーム同士は年に数回、練習試合を行うことになる。
聖光学院と花巻東もそうだった。岡野は中学時代も大谷翔平と対戦しているが、さほど強い印象は受けなかったという。高校時代で覚えているのは2年春から夏にかけての大谷だった。
「150キロぐらい投げていたと思うんです。おおーっと思ったんですけど、うちの遠藤(雅洋=3番、ショート)さんがセンターにライナーでホームランを打ったんです」
大谷を語るときも岡野のテンションはさほど変わらなかった。
「そもそも対等だと思ってないですから。自分の方が下だと思っているので。だから、(大谷のプレーを見て)打ちのめされるとかもなかったですね。こんなすごいやついるんだみたいな感じで」
中学補欠から名門エースに
岡野が公式戦のベンチ入りを果たしたのは2年秋、チームの中で最上級生になってからだった。背番号は「1」である。
「(エース番号は)小学生以来でしたね」
いよいよ「岡野の季節」が巡ってきた。