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「俺のこと恨んでいると思っていた」赤井英和を病院送りにした“噛ませ犬”大和田正春はいま…「“浪速のロッキー”の脳が揺れた鮮烈の左フック」 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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posted2024/08/22 11:00

「俺のこと恨んでいると思っていた」赤井英和を病院送りにした“噛ませ犬”大和田正春はいま…「“浪速のロッキー”の脳が揺れた鮮烈の左フック」<Number Web> photograph by BBM

1985年2月5日、大和田正春にKO負けを喫する赤井英和。試合後、意識を失った赤井は緊急搬送された

 無論、変わったのは髪型だけではない。ジュニアライト(現スーパーフェザー)級から3階級上げ、減量苦に悩むことはなくなった。身長は177cm。それまではジム側に言われた通り、無理して10kg近く体重を削ぎ落とし、58.97kg以下まで絞っていた。スパーリングで足をよく運んだ帝拳ジムの長野ハル・マネジャーには「大和田くん、階級を上げなさい」と何度も助言されたという。そして、ようやく適正階級で戦えるようになったのだ。

 いざ腹を決めて、赤井戦の準備を始めると、頭のスイッチを切り替えた。一部では『咬ませ犬』扱いされたものの、周囲の声は気にならなかった。自己暗示をかけるように自らに言い聞かせた。

「『勝つのは俺だから』って。それだけを信じて、練習に打ち込みました」

サンドバックではなく、大型バスのタイヤ

 赤井戦に向けて、荻原トレーナーから叩き込まれたのは左の一撃。来る日も来る日も同じパンチを打ち込んだ。耳にタコができるほど聞いた言葉は、何年経っても忘れない。

「『マサ、いいか。ジャブを突いて、赤井の頭が低くなったときに左アッパーを思い切り突き上げろ』。実際はアッパーとフックとの中間くらいの軌道で打つパンチでした。そればかりを練習していました」

 一心不乱に向かったのはサンドバックではなく、大型バスのタイヤ。赤井対策用に角海老ジムの地下に運び込まれたものである。ジムメイトの倉持正が韓国で世界タイトルマッチをしたときに「現地ではタイヤを打ってパンチを鍛えている」という情報を持ち帰ったのがきっかけだったようだ。大和田は目を丸くしながらバンテージをしっかり巻き、ひたすらタイヤにアッパー気味の左フック、右ストレートを叩き込んでいた。ゴツゴツした大きな右拳に目を落とすと、39年前の記憶がじわじわとよみがえってくる。

 「あのタイヤは、硬かったなあ。パンチを打つと、『バーン』という低い音が響くんですよ。拳も痛くてね。特に右ストレートを打つと、うずく感じで。たぶん、試合前から骨にヒビが入っていたのかもしれません」

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