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「俺のこと恨んでいると思っていた」赤井英和を病院送りにした“噛ませ犬”大和田正春はいま…「“浪速のロッキー”の脳が揺れた鮮烈の左フック」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byBBM
posted2024/08/22 11:00
1985年2月5日、大和田正春にKO負けを喫する赤井英和。試合後、意識を失った赤井は緊急搬送された
大和田は当時23歳。戦績は8勝(7KO)8敗1分け。日本ウェルター級のランキングは6位。プロデビューから2連続判定負けでスタートし、華やかな実績もない無名のボクサーだった。
一方の赤井は、世界挑戦を一度経験しているWBC世界ジュニア・ウェルター級8位。20戦19勝(16KO)1敗の戦績を誇るハードパンチャーである。格の違いは、本人が一番よく理解していた。
「最初、トレーナーには『断りたい』と伝えたのですが、『上にオーナー(鈴木正雄)がいるから話してこい』と言われて……。すぐにジムの2階に上がると、いきなりお茶を出され、俺が口を開く前に『なあ、大和田よ。今度勝ったら、お前の人生、変わっちゃうよ』と有無を言わさずに説得されたんです。これは何を言ってもダメなんだなと思い、試合を受けることにしました」
角海老陣営は、少なからず番狂わせを起こす可能性を感じていたのだ。オファーを受ける数カ月前の1984年9月、大和田はウェルター級8回戦で5連続KO勝ちと勢いに乗るホープを1ラウンドで倒したばかり。豪快なKOで沈めた野村勝英(ワタナベ)は、プロ入り前に自衛隊体育学校でも実績を残していた実力派である。
「(野村は)アマチュア時代に赤井さんに勝っていたんですよ。俺はそんなことを全然知らないまま野村と戦っていました。試合後にその事実をみんなから聞かされ、びっくりしたのを覚えています。だからといって、オファーを知らされたときに自分も赤井さんに勝てるなんて少しも思わなかったです」
「夜遊びしないように髪の毛を剃った」
野村戦の前は3連続KO負け。一度は「ボクシングを辞める」と言い残し、しばらくジムから足が遠のいていた。会社の先輩に誘われるがまま、週末のたびに飲み歩いて朝帰り。頻度が週3回になったときには、六畳一間に同居していた伯母の大和田久子さん(実母の姉)に激怒された。
ある日の明け方のことは、よく覚えている。東京都豊島区の自宅アパート前に竹刀を持って仁王立ちしている伯母がいたのだ。在日アメリカ軍兵士だった実父は大和田が生まれる前に帰国して顔も知らず、実母とも別居。育ての親である久子さんは幼少期からしつけには厳しく、このときもこっぴどく叱られた。
「『お前はいったい何をやっているんだ』って。俺もさすがにこのままではいけないと思い、もう夜遊びしないように髪の毛を剃ったんです。後にメディアでは『和製ハグラー』とか書かれましたが、俺は(元世界ミドル級3団体統一王者の)マービン・ハグラーのことを何も知らなかったので。『誰なの?』という感じでしたから。最初はスキンヘッドで電車に乗るのも恥ずかしくて、ずっと下を向いたまま東武東上線、山手線で大塚駅のジムまで行きました。でも、髪型ひとつでも、人間は変わるものです。アフロヘアからスキンヘッドにすると、筋肉を付けて、腕も太くしないといけないと思うようになりました」