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「日本人選手は全然質問しなかった」涙の退任、ブラン監督は日本バレーを8年間でこう変えた…天才セッター関田誠大への気遣い「セキタ、バレーを楽しもう」
posted2024/08/10 17:05
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
イタリアに勝てた。あの試合、勝てた。
セットカウント2対3。
試合が終わって、鉛を飲みこんだような、そんな心持ちがした。
男子バレーボール、1972年のミュンヘン・オリンピック以来となるメダルには手が届かなかった。
これによって、フィリップ・ブラン監督は退任することになる。
かねてから思っていたのは、ブラン監督は日本のスポーツ界におけるサッカーのハンス・オフト、ラグビーのエディー・ジョーンズ、バスケットボールのトム・ホーバスといった指導者と並び、その競技に多大な影響を残した外国人指導者のひとりだと思っている。
ブラン監督は、オリンピック出場に青息吐息だった日本バレーボール界にとって、「中興の祖」と言っていいのではないか。
「日本人は『ハイ』と答えるのは得意ですが…」
昨年の秋、私はブラン監督にNumberの特集記事でインタビューする機会を得た。その時間はとても刺激的で、日本人論や組織論に発展した。
「日本の選手たちは監督と意見を交わすという習慣がなかったのです。選手たちは聞くだけでひとつも質問をしてこなかった!」
「日本人は『ハイ』と答えるのは得意ですが、その実、私が伝えたことをまったく理解もしていないし、納得もしていないことを学ばせてもらいましたよ」
「中心選手なら、若くともリーダーにならなければいけない。実力があるのにチームビルディングについて傍観していたとしたら、それは責任放棄です」
シニカル極まりないのだが、日本の復活にはこれくらいの劇薬が必要だったということだろう。
日本代表が列強と伍して戦えるようになったのは、石川祐希、高橋藍、西田有志といった才能あふれる新世代の選手とブラン監督がめぐり合ったことも大きいが、緻密なデータ分析をもとにしてユニットとしてのスキルが向上したことが大きい。ブラン監督はいう。