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DeNAオースティンが丈夫なら「ジャッジとW主砲、大谷翔平とタイトル争い」だったかも…“ケガしすぎ”でも東京五輪・日本球界で輝く味わい

posted2024/08/06 11:04

 
DeNAオースティンが丈夫なら「ジャッジとW主砲、大谷翔平とタイトル争い」だったかも…“ケガしすぎ”でも東京五輪・日本球界で輝く味わい<Number Web> photograph by Nanae Suzuki,Kiichi Matsumoto

DeNAのタイラー・オースティンはヤンキース時代、アーロン・ジャッジとともに将来を嘱望された

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Nanae Suzuki,Kiichi Matsumoto

 稼働期間だけを見れば、とっくに解雇されていてもおかしくないのに、スタメンに名前が載り続ける外国人選手がいる。DeNAのタイラー・オースティンだ。

 2019年11月1日にブルワーズをFAとなり、DeNAに加入。今季で5シーズン目になるが、規定打席に到達したことは1度もない。100試合以上出場したのは2021年だけ。今季もここまで259打席、DeNAの規定打席は301だから大きく及ばず、今季も規定打席未達で終わる可能性が高い。

 しかし試合前の彼の打撃練習はすさまじい。また、ひとたび試合に出場すれば、勝負強さとハッスルプレーは、とても「窓際外国人」には見えない。

ヤンキース初陣はオースティン、ジャッジの打順だった

 そもそも、彼はメジャーデビューの時から「運命に翻弄された子」ではあった。

 高校時代から有力視されたが17歳の時に精巣腫瘍が見つかり手術、その影響もあり2010年13巡目(全体415番目)という低い順位でヤンキースに入団。この時のドラフト「いの1番」は現フィリーズのスーパースターであるブライス・ハーパー、3番はパドレスのマニー・マチャドだった。

 オースティンは、マイナーリーグでは.350を超す高打率でたちまちプロスペクト(有望株)の仲間入りをする。以後は、手首の痛みに悩まされ足踏みをしたものの、2016年にはメジャーに昇格した。

 2016年8月13日、ヤンキースタジアムで行われたタンパベイ・レイズ戦でメジャーデビュー。前日の12日には、ヤンキースの大スター、アレックス・ロドリゲスの引退セレモニーが行われている。

 オースティンは7番一塁でスタメン出場、そして8番右翼には1年あとの1992年生まれのアーロン・ジャッジ。ジャッジもこの日がメジャーデビュー。ヤンキースの先発は、ここまで8勝を挙げていた田中将大だった。

デビュー戦で両者ホームラン、中軸を担うはずが

 2回裏2死、ヤンキースの若い打者たちに打席が回ってきた。レイズの先発は右腕マット・アンドリース。7番オースティンは2-2からの6球目を叩くと、打球は右翼ライン際に上がり、スタンドイン。続く8番ジャッジは、アンドリースの1-2からの4球目を振り抜いて打球はセンター越えの大ホームランとなる。

 この日デビューした同世代の打者2人が、デビュー初打席で初本塁打を打ったのだ。これは史上初の出来事だった。オースティン、ジャッジともに4打数2安打1打点。ヤンキースは2人の活躍もあり8-4で勝利。田中将大に9勝目がついた。

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