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「ひなちゃんの銅メダルが見たい」早田ひなが“リザーブ”木原美悠の言葉に涙した理由…伊藤美誠らを支えた3年前、目を輝かせて想像したパリ五輪
posted2024/08/05 11:02
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Kaoru Watanabe/JMPA
21歳の夏、早田ひなは初めてオリンピックという舞台を経験した。
ただし、そのときは4人目の選手、リザーブ選手としてだった。
無観客で開催された2021年東京五輪。早田はスタッフらとともに応援席から大声を張り上げ応援していた。団体戦が始まる頃には声がかれてしまうほど誰よりも声を張り上げた。
その声に、同学年のライバルであり親友の伊藤美誠は勇気づけられ、パワーをもらった。
当時、伊藤は足の痛みのため歩くのもやっとの満身創痍状態。揺れ動く気持ちを落ち着かせてくれたのは、早田のサポートが大きかった、と感謝した。
「ひなは細かなところまでアドバイスしてくれました。身体のケアをしてくれるスタッフと同じぐらいケアをしてくれて。いろんな声掛けをして私の心を落ち着かせてくれたし、楽しませてくれました」
伊藤が混合ダブルスで日本卓球勢初となる金メダル、女子シングルスで銅メダル、女子団体戦で銀メダルと3つのメダルを獲得したとき、早田は当の本人よりも先に涙するほど「やっと神様が美誠にご褒美をくれた」と素直に喜んでいた。
笑顔がまぶしい2人の写真とともに投稿された早田のSNS。彼女が綴った一つ一つの言葉から伊藤への想い、そして自身のオリンピックへの想いが伝わってくるようだった。
「オリンピックで戦うためには何が必要か」
リザーブ選手に求められる役割は球拾いや練習パートナーなど多岐にわたる。
五輪期間中は試合会場から宿舎へもどってくると、深い時間になることもざら。ただ、代表選手同様にハードな毎日も早田にとっては楽しさでしかなかった。
早田を中学3年時から指導し、二人三脚で苦楽をともにする石田大輔コーチは以前、こう振り返っていた。
「本当にワクワク、ドキドキの毎日という感じで、大会期間中はいつも感動して帰ってきてました。目を輝かせなら自分が感じた気づきなどいろいろ話したりして。いつかその舞台に自分が立ったときはどうなんだろう……そんなことをイメージしながら過ごしていたんじゃないかと思います。そして、自分が通用するためにはどういう技術を磨かないとならないのか、心がブレたときにどうするか、とにかく自分がオリンピックで戦うためには何が必要なのか、そういう会話ばかりしていたような気がします」