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田中希実「じつは優勝していない」インターハイ…全国制覇した“同じ高校の天才少女”は何者だった?「中学生で高3生に圧勝」「東京五輪のホープ」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byKYODO
posted2024/08/06 11:01
パリ五輪代表の田中希実(右)を退けてインターハイ1500mで優勝した高橋ひな。当時から天才少女として名をはせていた
実際に主戦場とする800mでは、中学時代の記録を超えることができずに苦戦が続いた。
また、当時のモチベーションについてこうも話す。
「今、思い返すと、『自分の走りをさらに良くしたい』とか『レベルをさらに上げたい』というよりは、目の前の試合1つ1つに勝ちたいという気持ちのほうが強かった。中学記録を出したからといって、高校記録も狙っていきたいっていう気持ちはあんまりなかったのかな」
しかし、勝負にこだわっていたはずなのに勝利にも見放されるようになっていった。連覇がかかった2年時のインターハイは6位。ケガが多く、急ピッチで間に合わせたのにもかかわらず、きっちり入賞するのはさすがだったが……。
1学年下には「一緒にやろう」と誘っていた田中と後藤が入学してきたが、ケガをしがちだった高橋は2人と一緒に練習をする機会をなかなか持てなかった。
「2年生の時は、一緒に練習を積んだ記憶がほとんどないですね。故障をしている時は“2人は別物”みたいに思っていて、『あの子たちはあの子たち。私は私』っていう感じでした。あんまり焦らないから、ケガの治りものんびりでしたが(笑)」
高3に上がる前にも腰を痛めたが、インターハイの地区予選が始まる頃に復帰し、ようやく2人と練習を共にした。
高3時にインターハイで「復活優勝」
2人には圧倒されるばかりだったが、「2人がいたおかげで、練習は毎回、試合みたいな感じで積めました」と振り返る。そして、最後のインターハイには800mと1500mの2種目で全国に駒を進めた。800mはなんとか決勝に進み、決勝では8位入賞にとどまった。いっぽう1500mでは、冒頭の通り後輩2人に先着し鮮烈な優勝を飾った。
圧巻のラストスパートは健在で、フィニッシュ直前に田中をかわして勝利を手にした。
得意としてきた800mではないが、高校歴代4位(当時)の好記録をマークして1500mで頂点に立った。
決して順調な高校3年間を送ったわけではない。それでも冬には田中、後藤とともに駅伝でも活躍し、「中長距離に高橋あり」の存在感は示せたはずだった。だが、高校時代に狂い始めた歯車は、少しずつ高橋のマインドを蝕んでいった。
<次回へつづく>