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「『これぐらいでも勝てるんや』と思ってしまった」あの田中希実を破って全国制覇…“天才少女ランナー”はなぜ突然、陸上界から姿を消した?
posted2024/08/06 11:02
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
(L)AFLO、(R)Satoshi Wada
決して順調な高校3年間を送ったわけではない。中学時代の栄光に比べれば、もの足りなくも映ったかもしれない。だが、苦しみぬいた3年間の最後に存在感を示した。「やっぱり高橋は強い」そう思わせるのに十分な活躍は見せた。
しかし、少しずつ歯車が狂い始めていたのも事実だった。
「それまで走るために生活を費やすのが普通だと思っていたのが、だんだんと『実は普通じゃなかったんだ』って思うようになりました。それが高校2年生ぐらいの頃です」
「あの時、優勝しないほうが良かったんじゃないか」
本人は、そう気持ちに変化があったことを明かす。高3のインターハイ優勝にも葛藤を覚えることがあった。
「あの時、優勝しないほうが良かったんじゃないかなってたまに思うんです。中3の国体にしろ、高3のインターハイにしろ、自分が予想していなかった勝ち方をした。“今日は確実に勝てる”という確信を持って勝ったわけではない。自分は、そういう感じで勝てた試合が多かった。
言い方が悪いですけど、『これぐらいでも勝てるんや』って思ってしまったところがあったのかもしれません。だから、高校を卒業してから、陸上がうまくいかなかった。練習環境もコーチも、メニューも、本当に一流のなかの一流だったのに、自分はそこにいてもいい人間ではなかった」
栄光が必ずしもプラスに作用するとは限らない。高橋は出口の見えないトンネルでもがくことになる。
高校卒業後の高橋は自己推薦で早稲田大学スポーツ科学部に入学した。しかし、部活動ではなく、ナイキが立ち上げたプロチームNIKE TOKYO TCで競技を続けた。